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私のこと私のストーリーについて

 

自己紹介

   

避難住宅の前で
(長野県)


名前: ウェイン・ダグラス

出身地: ニュージーランド、オークランド市南部

大学専攻科目: 日本語

職歴: 国際関係促進、翻訳、英語教師、イベント企画

趣味: アウトドア、ジムでのトレーニング、料理

日本滞在期間: 約15年(2014年3月の時点で)

経歴:

私は1966年に生まれ、6ヶ月後に養子に出されました。ニュージーランドのオークランド市南部にある下流中産階級の郊外住宅で育てられました。4歳の時、養父は家から出て、養母はフルタイムの仕事をしながら、ただひとりで私と弟を育つことになりました。9歳の時、私は全寮制の学校に入学しました。

義務教育を終了して、建設業で働き始めました。しかし,80年代後半ごろ、不景気になったため、解雇され再就職することも困難でした。そこで、「成人教育制度」を利用し、日本語を学ぶため、他の高校に編入し、日本語を勉強することに決めました。

翌年、大学の日本語科にて勉強を続けるために、都会に引っ越しました。しかし、学費は高く、知らないうちに、学資ローンや銀行ローンを組んで、また大学の勉強を最後までできるため、母が自分の将来の年金を前借りし、私に貸してくれました。

お母さんの期待に応えるため、私は一生懸命に勉強をし、日本語学習成績優秀者ニュージーランド代表として2週間の研修参加で初来日しました。そして、1995年に卒業しました。

青年時に日本とニュージーランド間の橋渡しを行う夢を抱き来日し、いくつかの政府機関において国際関係の仕事に従事しました。

私の仕事は日本、ニュージーランド両国でテレビや他のメディアにおいて注目され、高く評価されました。全てが順調に行っていましたが、2000年の5月11日にはかなく変わってしまいました。


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>>> 驚いたこと (1)

  • 私はインフォームド・コンセントもなしにベンゾジアゼピンを処方されました。不安に対して処方されたのではありません。精神科医から処方されたのでもありません。急性の目眩症状(耳の障害からくるもの)に処方されたのです。
  • 私に実際に発症していた「前庭神経炎」の場合でも、誤診された「中脳水道症候群」の場合でも、この薬を処方することは全く不適切な治療でした。これについては専門家による検証をご覧ください。
  • 私は、ベンゾジアゼピンとは何の薬であるかさえも知らなかったのです(当時はまだ、インターネット上に、現在のような情報はほとんどなかったので、薬や治療法について自分で調べることは困難でした)。

   

1. 医師による治療

   

医療従事者にベンゾの危険性・有害性について教育をさせていない厚生省


背 景

2000年5月11日、私は急性めまい発作を起こし、その後は継続的な平衡障害に悩まされていました。総合病院で受診しましたが、診断はありませんでした。

6月頃、私の平衡感覚はゆるやかに回復しつつありましたが、まだ完全に正常な状態ではなく、フワフワするような、グラグラするようなめまいが残っていました。

総合病院が東京のめまい専門医に紹介状を用意してくれました。MRI検査結果は陰性であったにも関わらず、そのめまい専門医は、誤って「中脳水道症候群(シルヴィウス水道症候群)」だと診断しました(中脳の外側溝(シルヴィウス溝)の狭窄により引き起こされる稀な疾患)。

医師は「この病気を治療するには、薬を使ってあなたの体質を構造的に変える必要がある」と説明しました。私はまだ病気に悩まされていたし、当時はまだ、インターネット上に、現在のような情報はほとんどなかったし、またその医師が平衡障害の権威であったため、医師の判断を信用して受け入れました。


その治療

薬の種類や危険性についてインフォームドコンセントはなかったため、何も知らずに、5種類の薬が併用処方されました。後でわかったことですが、その処方薬は3種類のベンゾジアゼピン系薬剤(コントール、リボトリール、グランダキシン)とトフラニールと呼ばれる三環系抗うつ薬、そして、ケタスという商品名で販売されている抗炎症剤(イブジラスト)でした。3種類のベンゾは粉にして混合し一包化されたもので、合わせて30mg以上のジアゼパム換算量でした。

処方内服開始約2週間後の時点:いくつかの症状の落ち着きがみられました。例:不安(めまい発作の原因が不明であった不安)、筋肉緊張、めまい(処方内服する前は、時間と共にゆるやかに回復しつつあった)。

処方内服開始約2ヶ月後の時点:症状がぶり返し・悪化(例:筋肉の硬化)、また以前はなかった新たな症状も出現し始まった(例:動悸)。

処方内服開始約4~6ヶ月後の時点: 症状の顕著な悪化がみられました。筋肉の硬化(処方内服前は腰や首のあたりだけに限られ時折発生していた筋肉の凝り(平衡感覚低下によるもの)が、身体全体に広がり、時折発生から継続的になりその性質も変化した)。身体全身の筋肉がかなり硬くなり(重い感じ、またマヒした感じ)、前額部から頭皮にかけての締め付け感、顎が動かなくなる程悪化しました。当初にみられためまいの改善も止まり、再び悪化しました。

また以前はなかった新たな症状も多く出現していた。例:頻脈(脈拍数: 68→90)、胸部への圧迫感、ほてり(のぼせや寒気)、熱に対する敏感性、ピリピリ感、各種刺激に対する過敏性、軽度な耳鳴り(就寝時や起きがけに)を覚え、口の渇き、味覚異常、口内炎、胃痛、食欲不振と吐き気(当初のめまい発作時にもあったが再び新たに発現した)、性欲減弱。情緒不安定(執拗に起こるパニック発作、慢性的な不安や抑うつ、朦朧・引き離されるような感じ(感情麻痺)、集中力喪失、話しぶりが下手になった、混乱、気分の著しい動揺、攻撃性、侵入的・空回りする纏まらない思念、けいれん発作を起こし又気が狂いそうになる感じ)。視覚障害(光に対する過敏症の増加(飛蚊症を伴う)、色つきの閃光、閃光、眼がちかちかすること、過度の残像、霧視(ぼやけて見える、目がかすむ)、視覚がコマ送りに見えること、顎の痛み、関節痛、心身全般の健康状態の悪化…処方期間中、1ヶ月で1年ぐらい老けていたように見えました。身体は痩せ細っていて、顔がくぼみ、顔色も悪く、病人に見えたので、友だちのみんながとても驚きました。

処方内服までは神経性疾患、精神性疾患、不安障害などの病歴は全くありませんでした。


後でわかったことですが、その当時の私は、離脱症状と副作用に悩まされていました。

「耐性が形成されると、たとえ薬を飲み続けていたとしても、服用中に“離脱症状”が出現します。このように、多くの長期服用者が苦しんでいる症状は、薬の有害作用と、耐性からくる離脱作用が混ざり合ったものです。」(アシュトンマニュアル参照)。


病院を変え

私は自分の悪化する体調についての懸念を一所懸命に医師に伝えようとしていましたが、いつもはその懸念を退けていました。その後、処方薬の服用を中止しようと試みましたが、できませんでした。心配していた私は、病院を変えることにしました。

しかし、新しい病院では、ベンゾジアゼピン依存症が完全に見落とされました。その結果、また別の出鱈目な診断(自律神経失調症)が付けられ、更に、ベンゾジアゼピン系薬剤(アルプラゾラム(ソラナックス/コンスタン)、クロナゼパム(リボトリール/ランドセン)が処方され、合わせて48mgのジアゼパム換算量でした。

その新しい医師は、もうひとつ(3つ目)のベンゾ(ブロマゼパム(レキソタン/セニラン)を処方内服させようとしましたが、薬物のせいで私の体調が益々悪化していた事を痛感していたので、同医師に相談した上で、その3つ目の処方薬を内服しないことにしました。


離 脱

日本のドクターへの信頼感を失った私は、ニュージーランドに帰国することにしました。空港に着いた時、出迎えた母は私のことを見間違えて、「半分死んでいる痩せたゾンビに見える」と悲しそうに言いました。帰国後に3度目に薬剤を断つよう試みたが、この時も失敗に終わりました。

地元の内科に診察を受けました。その内科は、私のいた実家から100メートルほどの距離でしたが、私は100メートルも歩ける状態ではなかった為、母が車で連れて行ってくれました。ベンゾジアゼピン依存症という診断を受け、タラナキ病院附属アルコール・薬物依存症患者治療センターに紹介されました。

減薬中および断薬後の数カ月間は、気分動揺、攻撃性反応、パニック発作、動悸、過敏症などの症状が一層増加して、私はとても危険な状態にありました。

日本での処方内服期間中も大変苦しかったのですが、薬を断ってからの苦しみが和らぐのは、まだまだ先のことでした。本当に細かい事で母に物凄く怒り出した時もよくありました。

新しい離脱症状も出現しました。例えば:顔面のピリピリ感、筋肉運動協調の喪失、ミオクローヌス反射(不随意運動)、油っぽい体臭 – 腺の反応など。

ある日、夜に、母と一緒にテレビを見ていた時のことをよく覚えています。上記の症状での苦しみの最中、私は座っているいすを前後に軽く動かしていた時、自分は爆発しそうな感じがしました。私は「自分をコントロールできなくなって、母を襲うことにならないように…」と心の中で自分に言い続け、「この最悪な状態が一日も早く終わりますように」と神に祈り続けました。でもなかなか終わらず、苦悩がその後でも長い間続きました。

本当に最悪でした。私は真剣に逃げ出そうと頻繁に考えていました。でも逃げるところは?その時住んでいるところは自分の家でした。しかし、気持ちとしてはまさに地獄にいるようでした。

処方薬が引き起こした認識障害があまり酷く運転もできませんでした。掃除機をかけるような簡単な家事でもかなり大変で、頭の中はぼんやりとして、集中力は大変衰えていました。

処方薬を中止してから約6ヶ月後、日本で最初にめまい発作を起こして以来、めまい(元々の訴え)が初めて回復に向けて、持続的(毎日24時間)状態ではなく、断続的に起こるようになりました。投薬をやめて結局は、時間と共に平衡感覚は100%回復しました。

断薬した最初の年に、殆どの離脱症状が改善しましたが、いくつかの症状、特にパニック発作は何年も残続しました。時には離脱症状の再発も出現し、本当の自分を完全に取り戻すのに、およそ10年間がかかりました。


後遺

ベンゾジアゼピン系薬剤が私に誤って処方された以降、執筆する時、文字を飛ばしたり書く順番を間違ったりしがちになり、コンピューターのキーボードを使用する時に入力ミスを起こすこともよくあります。これが薬剤性の認知障害(後遺症)だと考えられます。

時には過敏性腸症になりやすく、処方内服前は、まったく無かったものです。

幸いなことに、パニック発作を起こすことはもうなくなり、完全に消えるのに10年間もかかりました。このパニック発作は処方内服中に初めて発症して、離脱の時はもちろんですが、その後も長い間続きました。結局、時間の経過とともに、徐々に回復しました。

時には、光点が見えて、PCモニターの画素の1つが故障して、モニターのバックライトの差し込む光の小さな点に見えます。当然に、飛蚊症は治りませんでした。因果関係を立証する手段はないようですが、ベンゾジアゼピン系薬剤を処方内服される人たちからはよくこの訴えを耳にします。

ベンゾジアゼピン服用による長期的(場合によると永続する)影響に関与している可能性のあるメカニズムのひとつは、脳内GABA神経細胞におけるベンゾジアゼピン受容体の活動変化で、その結果、脳のGABAへの感度が全般的に低下し、患者は中枢神経の興奮性が高まり、ストレスに対する感度が増大した状態におかれることが私は知っています(アシュトンマニュアル参照)。

私の場合は、自分のリハビリテーションに積極的に取り組んで、その結果、身体全身がリセット調整でき、受容体もより完全に復元し、神経系が復元するために、必要な調整ができたのではないかと思います。

しかし、ベンゾジアゼピン系薬剤により、後遺症として、ストレスに対する感度が増大する事実、またこれに加えて私が日本でさらされた様々な経験(下記参照)からみると、

今も、時々いくつかの症状に悩まされるのは当然かもしれません。


専門家による意見

専門家による検証のとおり、私に実際に発症していた「前庭神経炎」の場合でも、誤診された「中脳水道症候群」の場合でも、この薬を処方することは全く不適切な治療でした。その後、新しく紹介された病院によるまた別の出鱈目な診断(自律神経失調症)もアシュトン教授作成に係る意見書では除外されています。


関連書類

  • 原告 第1陳述書は治療の経過と共に、いかに中毒(依存症)が形成されていったかについてです。
  • 原告 第2陳述書は中毒(依存症)がいかに私の生活や周囲の人たちに影響を与えたかについてです。
  • 私の中毒(依存症)」では、インフォームド・コンセントが無かったため自身に何が起きているのか知ることのないまま、異国の地で、いかにして中毒に耐えなければいけなかったのかについて書いています。 
  • 経験した離脱」では、服薬中、減薬中、断薬時、そしてその後の数年間、いかにして禁断症状を耐え抜かなければならなかったのかについて書きました。(私は耐性の形成により、“服薬中”から禁断症状が出現し、その禁断症状は断薬後“何年も”持続しました。)
  • 回復」では、私がどれほど回復に努力したかについて紹介しています。ほとんど歩けなかった人間が、ジムで180キロのスクワットが出来るまでに回復したのです。
  • 私の闘い」では、ニュージーランドと日本を行き来した激しい闘いについて書いています。私は異国の地で、母国語と異なる日本語で、世界的に有名な医師と彼の病院、そして弁護団、また彼らの背後にいたに違いないネットワーク全体を相手にして、この裁判を闘いました。
  • ジャパンタイムズ特集記事を読めば私のストーリーの概要がよく伝わるかと思います。

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驚いたこと (2)

  • 裁判中、被告医師は自らを守るために、私に対して、新たに「自律神経失調症」という全く別の診断名を主張し始めました。
  • この「自律神経失調症」という別の診断を下すことに、薬物依存症を除外するための妥当な医学的根拠は存在しないも拘らず、裁判所は、私の薬物依存を否定する決定的な要因としてこの診断を認めました(「診断の問題」また「裁きは公正ですか?5項目」参照)。

   

2. 社会保険

   

厚生労働省での審査



(背 景)

2005年に再来日した後、私は国民健康保険を申請しました。その折担当係官から以前に何かの社会保険に入っていなかったか質問を受けました。医師によってベンゾジアゼピン依存を引き起こされ能力不全状態に陥っていた頃の事ですが、そのような状況にもかかわらず毎月約5万円もの自己負担を継続して社会保険に加入し続けた事を説明しました。

するとその担当官は14カ月の就労不能期間における収入減を申請する事を私に勧めました。更に、保険傷病手当金を受ける権利の消滅時効は2年と定められているので、最初は浦和社会保険事務所においての申請は初めて申請した段階においては取り下げられるであろう事、しかし関東信越厚生局で審査を請求し同審査において、 1. NZに帰国を余儀なくされた事、2. 薬剤性の認知障害やその他の症状もあった事等の状況を説明する事によって、保険傷病手当金が支給される可能性もあるという説明をしました。

(最初の申請)

担当官の言葉を実行に移して、私はその順序に従ってまず浦和社会保険事務所で収入減を申請しました。

(調査請求(不服申し立て)

そして最初の申請が取り下げられた後、関東信越厚生局(当時は浦和ビル内)において審査請求をしました。ともあれ結果から先に申し上げますと、この審査請求はまたもや取り下げられてしまいました。

(再調査請求)

続いて、最初の担当事務官の提案に従って更に厚生労働省で最終的な審査(「再審査」)請求をすることにしました。(しかし厚生労働省こそがベンゾジアゼピンに関する医師への教育を怠り、まず最初の段階で問題を発生させている所だと言えると思います)

この最終的な審査は簡易裁判所のような雰囲気の所で行われ、90分ほどの時間が取られましたが、あたかも私は有罪であるかのように、様々な質問を受け、まるでじりじりと体のいたる所を焙られているようでした。それでも話し合いも終わりに近づく頃には、審査員達を充分に納得させている様に私には思えました。

しかし、話し合いの最終段階において審査官の1人が「あなたはニュージーランドに帰国後に年金の『一時脱退金』の払い戻しを申請していますね」と指摘し、「保険の申請をするのに充分な認識能力は備えていた事を効果的に示した事と思われます」と言い出しました。調査主任は興奮をしてパッと顔が明るくなった様子でした。

これに対して私は、「年金の払い戻しの手続きは以前の雇用主が全部行ったので、自分では書類を作成する必要が無かった」と説明しました。とにかく主任判定官は終始ニコニコしながら、一方であらゆる意味においての傷病手当金を否認する充分な理由を獲得したかのような満足感を得ていることがハッキリと見て取れました。

この再審査の直後、私は詳細をより克明に記した書類を作成し厚労省の社会保険審査会宛てに郵送しました。しかし、前雇用主が私の代わりに年金の『一時脱退金』の払い戻しの手続きを行ったに過ぎないという事実は完全に無視され、あたかも病的な認識障害が無かったかのように判断されてしまいました。そして結果的に傷病手当金の請求は却下されました。


日本への再来日は私にとって非常に大きな心理的な障壁でした。延性離脱症候群(持続性離脱症状)のために当時の私はまだ寛解期のベンゾジアゼピン依存症患者と考えられるような容態だったので、ストレスやフラッシュバック、脱症状の再発を起こしやすい状態にありました。

この時期にはまだ毎朝の起床時に急激な吐き気に襲われたり、頻繁に起こるパニック発作に苦しめられたりしていましたので、過酷な試みを心身両面において受けていたと言えると思います。


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驚いたこと (3)

裁判のセクションを見ればお判りのように、薬物依存に陥っていたことを示す証拠があるにも関わらず、また、薬物中毒リハビリ施設で、正式な離脱プログラムをその後数年に渡る経過観察と共に受けることになったにも関わらず、日本の裁判所は、私が処方薬中毒状態にあったことが証明されたことにはならないと述べました。それでは質問します。

「薬物中毒リハビリ施設で時間を過ごす目的は何でしょうか?」

   

3. 裁判

   

東京高等裁判所前の私



以上の保険の申請がひどいストレスになりましたが、その後の裁判は更なる試練となりました。以下は東京高等裁判所において、どのように私の訴訟事件が取り扱われたかのおおよその概要です。
 

  1. 診断基準不採用:判決書では、3つの基準が無視され、その結果、私がDSM-IV-TR の診断基準に適合する薬物依存であったという事実を除外していない。このDSM-IV-TR基準が、本訴訟全体の基礎になっていた。
  1. 証拠を間違えて引用:高等裁判所の判決は「各添付文書には大量連用により薬物依存が生ずる可能性があることの記載があるのみであり」ということになりましたが、「大量投与又は連用中」という記載もありました。
  1. 臨床的関連情報不採用:例、以前は神経性疾患、精神性疾患などの病歴は一切なかった事実、断薬と減薬を試みるが何度も失敗した事実、薬剤治療開始前には、まだ就労能力があったが、薬剤治療を受けてからは就労能力を失い、また離脱治療後には、再び就労能力を取り戻した事実など。
  1. 選択的症状分析:裁判は私が依存状態にあったか否かという判断については、全体を見ようとせずに、大幅に省略し抜き出された特定の一部分だけの症状を基づいた。
  1. 離脱症状不採用:離脱治療施設のカルテに記録された新たな症状について、裁判官は決して取り上げようとしなかった。例、ミオクローヌス反射、筋肉運動協調の喪失、顔面のピリピリ感、頭部の筋肉の硬直(頭の周りをバンドできつく縛られた感覚)、油っぽい体臭 – 腺の反応など。
  1. 事実と異なる解釈:裁判所は、私が処方されたベンゾジアゼピンの用量が、治療中、ずっと同じであり、また薬物の増量を求めなかったことから、私には耐性が形成されておらず、よって中毒ではなかったと結論付けた。しかしながら、この見解は当方の主張と相反するものである。当方は「治療中に、薬物の増量を求めること」ではなく、「治療中に、離脱症状を生じていたこと」を耐性の根拠として主張していた。このことから、DSM-IV-TRの診断基準4 「制御不能」が本件に適用されたが、判決でこの事実は無視された。
  1. 非科学的な用語(診断名)採用:自律神経失調症」という別の診断を下すことに、薬物依存症を除外するための妥当な医学的・科学的根拠は存在しないも拘らず、裁判所は、私の薬物依存を否定する決定的な要因としてこの診断を認めた。
  1. 経過関連事実否認:例、BZ系薬剤の投与開始から6ヵ月後の時点で、初めて、自律神経失調症という診断が付けられた事実。
  1. 事実関係の誤り:BZ依存症(中毒)自体がストレスや不安症また自律神経の亢進およびそれに伴う関連症状を引き起こす(所謂自律神経失調症)。
  1. 偏った情報採用:高裁が、中毒を引き起こすとみなされるBZの用量を決める際には、製薬会社が作成した添付文書(多くの欠点に満ちたもの)に信用を置いた。
  1. 信憑性の高い証拠不作用:臨床用量の投与といえども2週間から4週間以上定常的に服用しているとBZ依存症に陥ってしまう可能性が十分にあること、そして実際に依存症に陥ってしまう事実が記載されている余地のない専門家による証拠を無視した。
  1. 証人尋問申請却下:当方の重要な証人である依存症の診断医(薬物中毒治療科医長)の証人尋問を2回申請したにも拘わらず、その申請は正当な根拠が示されることもないまま却下され裁判が続いた。
  1. 説明義務違反の不合理な反論:被告医師が下した元診断「中脳水道症候群」と、その当時に処方された薬剤は整合性が取れないのだが、裁判官はその矛盾は追及することはなかった。それどころか、「自律神経失調症」についても、同被告医師が裁判開始前にはその診断をしたことがなく、裁判開始後になって初めて主張し出したのだという事実も顧みられることはまるでなかった。
  1. 経過観察義務違反の不合理な反論:裁判官は、「平衡感覚を観察するための定期検査」と、「服用中に起こり得る依存形成について適切な経過観察」の違いを区別しなかった。
  1. 欠陥を有する裁判:訴訟中に裁判長の交代があった。その結果、本件について詳しい裁判長の代わりに、本訴訟の経過やBZ系薬剤についての基礎知識を全く持っていない新しい裁判長が途中で本訴訟を引き継ぐことになってしまった。
  1. 関連事実の除外:注目すべき点は、考えられないほどに強烈なストレスであるはずの日本での裁判手続きの期間中でも私の健康状態はどんどん良い方向へ向かっていったこと。私の健康状態を示すこの事実は、私の症状が単に不安神経症/ストレス(自律神経失調症)からくるものであり、また私にはその体質であるとする被控訴人側の主張を覆すに十分なもの。その理由、ストレス(自律神経失調症)になりやすい体質で、ストレスに苦しんでいる人が強烈なストレス環境の中で健康状態が回復するなんてことはあり得ないからである。これでは全く理屈に合わない。この事実も判決には含まれていなかった。
  1. 最終弁論:最終陳述書の末尾に、「9ヶ月間に渡り、中毒性の強いBZを処方内服された後、私は薬物中毒リハビリ施設で治療を受けることになった理由は何だと思っていますか?」と質問を投げかけた。答えはないまま裁判は終わってしまった。

(世界トップ2の専門家は?)

BZ治療中及び投与量の減量中、また断薬後にみられた、ウェイン・ダグラスの症状(ジャドソン医師の報告書に記録されている)のほとんど全ては、依存症及び自律神経系の活動亢進によるものであり、これらは、このような状況でよく起こるものである。ヘザー・アシュトン教授(英国、ニューカッスル・アポン・タイン大学名誉教授、臨床精神薬理学)

親愛なるウェイン、あなたは間違えなく裁判による誤審を受けました。深く同情する次第です。敬具、マルコム・レイダー教授。大英勲章第4位、法学士、博士号、医学士、科学博士、英国精神医学会フェロー、英国医学アカデミーフェロー。英国ロンドン大学精神医学研究所名誉教授(臨床精神薬理学)。


関連書類

  • 裁きは公正ですか?」では、高裁判決にみられる多くの不当性を更に明らかにしています。
  • 損失額、損害額に関する公的な記録」は、裁判所に提出した損害賠償請求書や領収書など公的な資料に基づいて、私の裁判において発生した実際の損失額、損害額を公開しています。
  • 原告 第1陳述書は治療の経過と共に、いかに中毒(依存症)が形成されていったかについてです。
  • 原告 第2陳述書は中毒(依存症)がいかに私の生活や周囲の人たちに影響を与えたかについてです。

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最高裁への上告理由書を作成中に福島から到着した荷物


放射性物質のフォールアウト、余震、計画停電などが続く最中、私は何度も住む場所を移動しなければいけませんでした。また、失業やホームレスも経験しました。そのような状況の中、私は最高裁判所への上告理由書を書き続けました。決定が下された時点で既に、6ヶ月間で6回も転居することになりました。

 

 

4. ハローワーク・雇用主

   

失業保険申請を却下したハローワーク飯田橋



東京高等裁判所の判決は2011年2月7日に下されました(大震災および原発事故の5週間前のことでした)。

私は、3.11の災害までは、英語講師派遣会社から福島県内にあるJICA(独立行政法人国際協力機構)の二本松訓練所に派遣され、そこで働いていました。

3.11の災害の影響により、JICAの業務が一時的に大阪に移されたため、私も大阪に転居することになります。しかし、その僅か3か月後に、その英語講師派遣会社を解雇されることとなりました。その後、失業保険を申請したものの却下されてしまいました。ハローワークの担当者によると、その英語講師派遣会社が私の勤務状況について間違った情報を提供したため却下となったとのことでした。

(ハローワークは当初、雇用契約書や給料明細書などの正しい書類を持っていたにも拘わらず、不正確な情報に基づいて失業保険の給付を認めないという決定を下したのです)。

絶望的な状況に陥った私は、生きていくためには、その決定に対して不服申し立てをせざるを得ませんでした。その結果、私の不服申立は法的に認められ失業保険は私にも他に講師たちにも給付されることになりました(幼い子供を育っていた講師もいました)。

その後、この英語講師派遣会社は、JICAの福島訓練所での営業を再開しました。原発事故もある程度落ち着いた後、私は復職を申し込むことにしました。

しかし、何度も復職を試みたにも拘わらず、その派遣会社は未経験の新しい講師を雇い、私を復職させることはありませんでした(災害により離職するまでの私の勤務成績は評価されていたのです)。

また、この派遣会社は、私が避難している長野県のJICA訓練所でも営業を開始しましたが、この時も同じく、大震災の影響を全く受けていない未経験の講師を雇っていました(海外からの募集もありました)。

この状況を知ってもらおうと、私は、罹災前に実際に派遣されていたJICA に相談することにしました。JICA は主要な国際協力機関であり災害救済機関でもあるからです。しかし、そこでも復職についてのサポートをすることは出来ないと言われました。

これらの度重なる試練にも拘わらず、ただその日の食事を得ようと奮闘しながら、私は、このサイトを立ち上げるために時間をなるべく有効に使って、このベンゾジアゼピン問題に取り組み続けてきました。また、アシュトンマニュアル日本語版の翻訳の最終校正にも協力することができ、そのマニュアルは読売新聞でも取り上げられました。


JICAで職を失った後、長野の一時避難宿泊所に入居しました。ひっきりなしにやってくる光熱費の注意通知書などのために、この頃は緊張の連続ともいえる時期でした。地元のボランティア団体から食料の緊急援助を受けていたのもこの時期です。友達(同僚の2人)がこの災害の直後に自らの命を絶ちました。


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上記のとおり、被災した当時、私はJICAで仕事をしていました。

 

 

要 約

上記のとおり、①医者によってベンゾジアゼピン依存症を誘発されてしまった事、②健康保険の失効、③公正さに欠ける判決、④3-11の東日本大震災と福島の原発事故によって直面せざるをえなくなった、社会保障制度と雇用主の過失・怠慢というそれぞれの問題が複合的に働いて結果、50歳にして、私には、家、家族、貯金、財産、生活の安定など、全く何もありません。あるものといえば、未返済の借金と裁判にかかった費用のみです。

進行性関節炎および椎間板の破裂を患う高齢の母親の面倒を見る事も出来ず、ましては、自分の退職後の生活の為に貯めていた貯蓄の中から母が払ってくれた、日本語を勉強するための大学授業料も未だに返すことが出来ておらず、これが老後の母に大きな負担になっています。実は、母との再会を果たしたのはこの8年間で一度きりです(その時、母が航空券を用意してくれた)。天文学的な数字に登ると思われる母国での物価(家賃、生活費など)および現在の私の生活状況を考えると、今の所はニュージーランドに戻って生活をする事を選択肢のうちに入れるどころではありません。

足指の骨折また鼠径ヘルニアに悩まされていますが、保険に入る経済的能力はないため、治療せずに、その痛みに耐え続ける毎日を送っています。

一時避難宿泊所をめぐる規則のために、一度引っ越すと、その宿泊の支援がなくなるため、自分が納得する仕事ができるところに引っ越すのは困難です。その結果、同じ県内で薬害の注意喚起活動をしながら、今のアルバイトの収入でなんとか頑張っているだけです。

個人においては何の落ち度も無いに等しいのに、今もって異国の地で仮住まいをせざるを得ない状況にいます。マイナス10度から15度にもなる極寒の長野で、3年間の冬も何の暖房も使わずに、湯たんぽと毛布をかけるだけで過ごしました。未払いの光熱費や税金の事でひっきりなしにやってくる注意通知書、近所のアルミニウムのリサイクル工場から排出される汚染された空気、建物の中で響く騒音にも悩まされ、日本の社会において孤独な生活を余儀なくされました。また、あまり空気喚起ができないため、カビが発生しアレルギー反応による症状も生じています。言うまでもないですが、この状況は更なる試練になっています。

有害な化学薬品、放射性降下物、そして5年間に亘って汚染された空気にさらされ続け、昨今においてはさすがに健康被害を疑うようになりましたが、今のところ健康診断や各種検査を受ける経済的能力はありません。


Most people talk about how much they lost after being prescribed benzodiazepines by their doctor. For me, I had nothing to lose, as I hadn’t even made it to the start line yet – all this happened just after I had finished paying back a student loan for my adult education, and I had nothing before that, so I just went from behind to further behind.


関連書類

  • 寄せられたメッセージ」では、裁判の終了後に、知人が親切にも寄せてくれた励ましのメッセージをいくつか公開しています。
  • 感謝の気持ち」では、私を支えてくれた人たちに向けて、私から感謝の思いを伝えています。
  • 伝えたいこと」では、ベンゾジアゼピンに関する問題について、より注意喚起を促進させるために、私の考えを示しました。
  • 読者からのメッセージ
  • 損失額、損害額に関する公的な記録」は、裁判所に提出した損害賠償請求書や領収書など公的な資料に基づいて、私の裁判において発生した実際の損失額、損害額を公開しています。

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B. 私の本

   



一時避難宿泊所での時間を有効に使うために本の執筆を決意しました。小説風の散文体で、楽しんで読むことができ、しかも啓蒙的な意味合いのあるものにするべきだと思いました。

物語は読者を、とある旅に連れ出します。「外国人の目で見た日本」という背景を取り入れたいと思って、執筆しました。処方薬依存に陥り、閣僚的な法曹界に痛めつけられ、3.11東日本大震災、福島原子力発電所の事故に遭遇したこともリアルタイムで紹介し、瀕死の思いを味わうという場面を旅するものです。

既に3年と半年を費やして下書きを書き上げました。専門家の校正者、顧問弁護士、正規の出版社は高額の依頼料が生じてしまうので、今の所、自分で校正を試みている所です。

私の活動を理解し御支援下さる皆様一人一人のお心をとてもかけがえのないものと思っています。この活動の経済的な支援のため、皆様の寛大な御協力を是非ともお願いしたいと思います。心から皆様の御寄付を感謝いたします。何卒よろしくお願い申し上げます。
ご寄付はこちらをクリックしてください。 

本の紹介を読む


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C. 私の活動


世界ベンゾ注意喚起の日(2016年)
 


 

2016年7月11日:世界ベンゾ注意喚起の日)の当日に、創立者として、厚生労働省において、被害者や政治家と一緒に陳情訪問に参加(上のビデオ参照)。

2016年6月27日:W-BADチラシ配り作戦 in Shinjuku において、被害者や政治家と一緒に参加(上のビデオ参照)。

2015年~2016年:世界ベンゾ注意喚起の日を設立。

201504月:薬害オンブズパースン会議において、ベンゾジアゼピン系薬物に関する要望書の意見交換に参加しました。同要望書は2015年10月28日に関係各企業、厚生労働省、文部科学省、関連学会に提出されました。

201410月:第16回国際嗜癖医学会(International Society of Addiction Medicine, ISAM)年次総会がパシフィコ横浜会議センターにおいて、ベンゾジアゼピン系薬剤および類似薬剤の“不適切な処方”による危険性について注意喚起をするため、私は発表をしました

20143月:ベンゾジアゼピンに関する情報、また私の経験も併せて、当サイト(Benzo Case Japan)を立ち上げました。少しでも皆様の一助となれば幸いです。

2013年3月:日本人医師とアシュトン教授との間の情報交換サポート。本件は、他の医師に処方されたベンゾジアゼピン過剰投与により意識障害を起こした患者への対処方法を詳細確認するため。

20131月:高齢者のマニュアルへのアクセスがより容易になるために、アシュトンマニュアル日本語版の印刷出版の許可を交渉しました。

2012年8月:讀賣新聞によるアシュトン教授への取材(Q&A)をコーディネート。取材は日本国内におけるベンゾジアゼピンが引き起こす諸問題についての注意喚起をするために行われました。

2012年中頃:アシュトンマニュアル日本語版の翻訳に協力し、そのマニュアルは2012年8月19日に一般公開されあした。

2003年2月~201110月:ベンゾジアゼピン処方によって、私だけではなく多くの人々が、いかに苦しめられているのかを理解してもらうために、およそ10年間(準備時間を含む)をかけて、日本で裁判を起こし、最高裁判所まで日本語で闘いました。私と弁護士は、ベンゾジアゼピン系薬剤の危険性について世間にもっと注意を喚起し、日本でより安全なベンゾジアゼピン処方ガイドラインが設置されるよう働き掛けるために、本気で判例をつくってやろうと、この裁判を闘いました裁判のセクション参照)。


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D. 評価・支持

   


親愛なるウェイン

この薬の危険性に関する情報を発信するため、あなたがしていることは素晴らしい。あなたの活動を通じ、多くの人が学ぶことを願っています。

ジム

ジム・ドビン下院議員

英国議会下院、ロンドン

全ての評価・支持を読む


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ご協力のお願い

   



上記のとおり、私の状況、また私の活動の意図を理解し、ご支援くださる方は下記のボタンで寄付ページをご覧ください(ご寄付は、一口、1,000円から受け付けしております)。どうぞよろしくお願いします。

寄付ページ


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シェアをして皆で注意喚起しよう



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当サイトについて

当サイトは、医原性ベンゾジアゼピン薬物依存症(中毒)の注意喚起、また、医療訴訟の問題について知っていただくために、個人的に作成したものです。

当サイトには報復的な目的は一切ありません。また、プライバシー保護のため、当サイトに掲載される公的資料からは、被告人またはその他関係者の名前は削除されています。

当サイトには私以外に関係する個人や団体は無く、また、特定の組織や社会運動を代表するものでも一切ありません。

当サイトは医療的あるいは法的な助言を目的としたものではありません(免責条項参照)。

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インスピレーション

裁判という究極のストレスに悩まされるチャレンジにおいて、私はいつもラグビーNZ代表のオールブラックス、とりわけキャプテンのリッチー・マコウ(Richie McCaw)からインスピレーションを得て、それを活かしていました。

状況がどんなに厳しくなろうと、どんなに不当に扱われようと、彼らが不平を言うことは決してなく、ただただ前進していくのです。

素晴らしい!

Challenges

There were many challenges in my case.

These included fighting a world famous doctor in another country and language, acting as go-between for a harsh natured Japanese speaking lawyer and a sensitive natured English speaking doctor, making my Supreme Court Appeal whilst evacuating from Fukushima etc during the 3/11 disaster etc…

動 機

多くの人から、最高裁判所まで闘った理由やこのウェブサイトを作成するに至った動機について尋ねられます。

まず裁判については、私はただ単に「このような結果がもたらされる治療は有り得ない」と感じたのです。人が病院に行って、このように苦しむべきではありません。また、現在の医療界には、私だけでなく多くの人たちに影響を及ぼしている大きな問題が存在することを知りました。この問題について当局に注目してもらう必要があり、医師側も責任を問われる必要があると考え、裁判を闘ったのです。

このウェブサイトに関しては、処方薬中毒とはどのようなものかを知り、そして、この薬が社会全体に影響を及ぼしていることに気付いたことで、他の人が同じ目に遇い苦しむことのないよう何かをしなければと感じたのです。そこで、当サイトを立ち上げることにしました。

モットー

このウエブサイトの左上に私の信条が掲げてあります。裁判を起こして活動をやり続けてきた私はクレジーだと思った人が多くいました。

しかしながら、私たちは二つの選択肢を持っている「何かをすることを選ぶ」か「何もしないことを選ぶ」-多くの人々に希望を持って生きることを与えるのはどちらでしょう?その選択権は私たちの手の中に…

Skeleton in the Closet

It seems the truths about the potential dangers of benzodiazepines are slowly coming out but with so many cases of prescription addiction / dependency worldwide there is clearly a long way to go.

Also, in my experience it appears as if addiction / dependency to prescription drugs leans toward a subject of taboo – almost as if society is succumbing to it.

However, is keeping these problems locked up in the closet going to help anyone or change anything?

At first it was difficult sharing my case and story online because it necessitated disclosing personal information, however, I felt the need to come out and help raise awareness outweighed this…

Language Enthusiast?

You may be interested to see the notes on corrections of Japanese translation errors, which were contained in the addiction medical report translations, together with explanations of the nature of these errors, and consider their potential implications on the case.

This is very interesting!

誤訳についてを読む

Feedback

What worked well?

What didn't work so well?

For the interest of the reader, in this site I have given feedback on what worked well in my case and what could have been done better.

必要だったもの

Below are some of the skills I needed to call upon in my case, however, unlike my case where I was required to play an active role between two countries and languages, not all cases may require such input from the claimants.

  • Analytical
  • Language
  • Translation
  • Communication
  • Cross cultural
  • People
  • Negotiation
  • Coordination
  • Research
  • Formal writing
  • IT
  • Computer
  • Stress management
  • Time management
  • Money management
  • Health maintenance
  • Self awareness
  • Adaptation
  • Flexibility
  • Endurance
  • Control
  • Drive
  • Belief
  • Commitment
  • Sacrifice

Perfect Smoke Screen

In my case, “confusion” appeared to be the main tactic of choice employed by the defense.

Enter the term “Autonomic Nervous Disorder” (The Perfect Smokescreen).

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アイロニー

What are benzos for again?

The only time I’ve ever needed to visit a psychologist in my life was AFTER (wrongfully) being prescribed benzodiazepines…

Results Speak Volumes!!

I went from being barely able to walk when I was on benzodiazepines to being able to squat 180kgs following abstinence and rehabilitation.

続きを読む

ジャパンタイムズ

最も驚いたことは、高裁が、中毒を引き起こすとみなされるベンゾジアゼピンの用量を決める際、製薬会社が作成した添付文書に信用を置いたことであった。

「負けた気がしません。私は勝ち、裁判所が負けたと感じています。彼らは医師たちを守る一方、社会を守り損なったように思えます。私がやりたいことは、私の経験を紹介したり、裁判を通して集めた資料を使ったりして、依存患者や依存に陥る可能性のある人たちのために情報を提供することです」

記事を読む

損失、損害

当裁判に要した諸経費並びに薬害によって生じた損失、損害に関しましては、損失額・損害額に関する公的な記録 をご覧ください。

また、原告の第2陳述書では、私は個人的に経験した問題をご覧いただけます。

ビデオ

This section shows a variety of other benzodiazepine related videos that may be of interest.

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Question

When do you suppose my condition was at its worst?

  1. When I was experiencing moderate levels of work related stress?
  1. When I was working a high pressure job and involved in a rigorous court battle in another country and language against a world famous doctor, the hospital, and the teams of lawyers and entire networks that no doubt sat behind them?

The answer is A.

Answer

Why?

Because at the time of situation (B) above, I wasn’t being mislead by a doctor feeding me a cocktail of highly addictive prescription drugs.

Instead I was employing the use of practical (non-drug) stress management techniques learnt in New Zealand before I returned to proceed with litigation in Japan.

Same principles applied to coping with the affects of the 3-11 disaster...

Prof. Ashton Acquaintance

「服用期間中であっても(たとえ薬を飲み続けていたとしても)離脱症状が起きる可能性はある」私と弁護士が裏づけのある論文を必死で探していた時に、アシュトン博士との初めての出会いがありました。

博士には、その後も、要となる情報だけでなく、その他の役に立つ情報もあわせて頂いております。

私たちはそれ以降も緊密な連絡を取り続け、手がつけられないほど広がってしまったこの「社会問題」に注意喚起をする努力をしてきました。

アシュトンマニュアルの日本語訳の協力もそのひとつです。

ドキュメンタリー動画

興味を持っていただけそうなベンゾジアゼピン関連のニュース動画をいくつか紹介しています。

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Favourite Word "Balance"

Throughout this entire ordeal, I came to realize the importance of “Balance”.

As pressing as the court deadlines were and as demanding as the case was, without maintaining a balance in life including rest, recreation, work, socializing, diet, sleep etc. it would have been impossible to sustain.

However, it was always a razor edge fine line between making progress and maintaining health and balance.

Subsequently, it took a lot of skill and adapting.

裁きは公正ですか?

このセクションでは、私が闘った日本の裁判についてお話します。特にそこで現れた、明らかに不当な処置と思われる事例のかずかずを紹介します。これらの事例をわかりやすくお伝えするために、「東京高等裁判所の判決」と「中毒治療科の報告書」への参照箇所(リンク)がいくつか出てくるので是非ご参考ください。また、「中毒治療科報告書」は、一貫して、法的証拠およびDSM-IV-TRの依存症診断基準に基づいて書かれていることにもご留意ください。

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A Great Doctor!

A doctor that took the time to listen…

Whilst residing in state housing in Nagano, as an evacuee from Fukushima, I consulted a local ENT about ear pain from overuse of earplugs.

As we got talking he learned of my situation with regards to being displaced by the 3/11 disaster and Fukushima nuclear accident.

As a result, he also learned that I was under some stress.

However, instead of labeling me with some fancy diagnostic term and prescribing me drugs, he sat down and we discussed possible solutions as to how to I might be able to relocate, get my job back, etc.

He did this after his surgery had closed over a cup of tea – what a great doctor and what a great guy!

No Escapism

It was difficult to get any relief from the ongoing symptoms

Unlike injuries where you may get some relief from adjusting your posture etc, with drug dependency in my case, the pain was both mental and physical and ran 24/7 regardless…

神経が太い

For many months and years I had to endure the effects and suffering of a horrible benzodiazepine dependency (addiction).

During my quest to seek recognition for this, I thought the defendant hospital, doctor and courts had a lot of nerve to turn around and tell me that I wasn’t dependent (despite having attended a drug rehabilitation program with follow-up consultations lasting more than a year)...

3/11

私はもともと、ベンゾジアゼピン処方による被害にあい、その上に東日本大震災にもあいました。震災にあった時に心配になったことは、トラウマに悩まされている被災地の多くの人たちが、ベンゾジアゼピンの処方をたくさん受けているのではないかということでした(今も心配しています)。

大震災の最中に、私はちょうど最高裁への上告理由書を書いていたところでした。せっかくでしたので、その機会を借りて、警鐘を鳴らそうと思い、下記の文を補記しました…

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Echoing Voices

Seems people are all saying the same things over and over…

  • I was like a zombie
  • It felt like I was in hell
  • It was much harder to come off benzodiazepines than anything else I'd ever had before
  • It took a chunk of my life away
  • It has destroyed my life
  • The doctor never told me they were addictive / The doctor told me they weren’t addictive
  • When I complained my condition was worsening the doctor prescribed me more...

読者からのメッセージ

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Alternatively, you can use the Benzo Case Japan facebook page.

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当サイトには報復的な目的は一切ありません。また、プライバシー保護のため、当サイトに掲載される公的資料からは、被告人またはその他関係者の名前は削除されています。
©2012 Benzo Case Japan Programming by Butter

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