第三章
3.一般情報
3.1 回復
3.1.1
ウェインの回復は下記により明らであった。
- 症状の回復
- 労働復帰の能力
- 娯楽活動への復帰能力
- 日本に戻る能力
(1)症状の回復
3.1.2
当職の第一報告書の12頁で述べたように、ウェインは断薬した最初の年に殆どの症状が快癒し、多くの症状は最初の3カ月で落ち着いた。
原注:ウェインのパニック発作は持続したが、これは、遷延性離脱、依存症経験によるトラウマ、及びその後の賠償訴訟の更なるプレッシャーなどを含む長期的影響を考慮に入れて分析される必要がある。
(2)労働復帰の能力
3.1.3
ウィットウェル医師は2002年6月にウェインが労働復帰できる体調に戻ったと判断し復職許可を与えた(甲A7号証参照)。労働復帰しても良いと言われた後、ウェインはクイーンズ英語学校にて1年間、英語教師として働いた(甲C5-2号証参照)。
3.1.4
上記の雇用契約の終了後、ウェインは1年間、プレイスメーカーズにて屋外労働者として働き始めた。この職は大型の建設資材、すなわち材木、セメントまたは煉瓦などを扱う仕事であった(甲C5-4号証参照)。
3.1.5
ウェインはまたオークランドアドベンチャーズにてアドベンチャーツアーガイドとして働いた。この職には、全日のハイキングツアー、カヌー、スノーケリング、乗馬、マウンテンバイク、長時間の運転などが含まれていた(甲C5-7-2~21号証参照)。
原注:ウェインは労働復帰することはできたが、当職の理解によれば、精神科医であるアラン・ガイ医師作成に係る2007年4月27日付の書簡で述べられているように、上記に言及されたパニック発作のために大きな責任の伴う職に就く能力には限度があった(甲A18号証参照)。
(3)娯楽活動への復帰能力
3.1.6
ウェインの娯楽活動への復帰能力は上記の項目3.1.5にて明らかにされた。
3.1.7
2001年に近所のスポーツジムがウェインの入会希望を認めたがらなかった後(彼が明らかに不健康な状態でそのトレーニング施設に入った後)、彼は身体トレーニングプログラムを開始し、その結果、明らかな体重、体力、気力の増加がみられた。これは上記で述べたようにアドベンチャーツアーガイドや屋外労働者として働く能力を維持できたという事実により立証される。
(4)日本へ戻る能力
3.1.8
精神科医であるアラン・ガイ医師作成に係る2007年4月27日付の書簡で述べられているように、ウェインにとって日本への再渡航は過去の経験のためにかなりの心理的バリアとなっていたが、それを実現させたことにより、彼の回復は更に明らかとなった。(甲A18号証参照)。
3.1.9
上記を要約すると、ウェインの当科来訪の際には、労働能力がなく、明らかな体重と体力の減少を伴うさまざまな範囲の身体的また精神的な症状に悩まされている状態であった。比較して当科における漸減療法の終了後、彼は労働または娯楽活動へ復帰できるようになった。更に、彼は日本に再度、居住し働くために戻る事ができ、現在の賠償訴訟による更に大きなストレス下においても、当職の理解によれば彼は現在、以前より良い健康状態を維持している。
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3.2 処方量の不足
3.2.1
当職の理解によると、処方量の明らかな不足に関していくらかの意見の相違がある。また、これらの不足があったということは(特に2000年11月には、約15回服用分つまり約5日間分の不足があった)、ウェインは用量を維持しないで済む能力があった筈であり、それ故、依存症の状態にはなかった可能性を示す判決が下されたとの報告を受けている。
3.2.2
しかしながら、当科の診断、全体的臨床像およびDSM-IV-TRの適用に準拠すると、ウェインは明らかに依存症であった。
3.2.3
ウェインが、依存症の状態にあったにも関わらず、治療期間を乗り切った可能性を明確にするために、ウェインと彼の弁護士は、2000年と2001年の間にX医師とM医師のもとで投与された一回一回の各処方量の全内訳を作成した。当職はこれを検証する機会を得た。また、ウェインとの更なる相談をしたところ、我々はこの処方量の不足に関して下記の可能性を確認することができた。
- ウェインが彼の服薬を徐々に開始した可能性。
- 2000年8月にあったように(6回分)、以前の処方の余剰薬があった可能性。
- 長期間の治療の場合、薬の飲み忘れは珍しいことではなく、それによる治療初期の段階で余剰薬が生じた可能性(しかしながら、ウェインの依存症が進行するにつれ、彼における服薬せずに済む能力は低下していったであろう)。
- ウェインの報告のように、11月には減薬を試みたことにより生じた飲み残しがあった。
3.2.4
上記を考慮すると、明らかな処方量の不足があったにも関わらず、また、彼が依存症であった事実にも関わらず、余剰薬が生じたために、ウェインは治療期間を乗り切った可能性が十分にあったことが確認できる。
3.2.5
ウェインはDSM-IV-TRの7つの基準のうち5つを満たしており、また、処方量に明らかな不足があったにも関わらず、(新訳注:余剰薬のために)彼が治療を乗り切ることが可能だったことにより、この論点が依存症を除外する根拠にはならない。
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3.3 鑑別診断(不安障害)
3.3.1
当職の理解によると、OセンターにてM医師により“自律神経失調症”と診断され、これは日本において一般的な生活上のストレス/不安によって起こる心身症状に悩まされる状態によく用いられる病名だとの報告を受けている。
3.3.2
また当職の理解によると、下記のように不安障害に関して2つの議論がある。
- ウェインはストレス関連の症状を患っていた。
- ウェインは慢性不安症関連の症状を患っていた。
これら各々を説明する前に、下記にて用語を明確にしたい。
3.3.3
一般的に英語圏では、我々は一般的な生活上のストレスや不安状態によって惹き起こされる心身症状について言及するとき、“自律神経失調症”という用語を使わない。“不安症”という用語を使うことの方がより一般的である。“Management of Mental Disorders fourth edition 精神障害の治療 第4版”(世界保健機構出版)には、“不安を覚えるということは極めて正常なことである ― 適度なレベルの不安は遂行能力を向上させ、また、状況によっては、高レベルの不安でさえ適切であることもある...。不安障害を呈する患者は、非理性的あるいは非現実的そして侵入的と認識する特定かつ再発性の恐怖心を持っている。
3.3.4
続いて、この鑑別診断をする際、当職は、DSM-IVにまとめられ、またWHOにより定義された疾患の範囲を含むために、“不安障害”という用語を用いることにした。それらは下記を含む。すなわち、パニック発作、広場恐怖症、対人恐怖症、特定恐怖症、全般的不安障害、強迫神経症、心的外傷後ストレス障害、急性ストレス障害、全身病状による不安障害、不特定の不安障害、適応障害、予期せぬ身体の不調、また心気症である。
3.3.5
2000年~2001年の治療過程で彼が患った可能性のある不安症状は、彼が処方されていた薬剤によるものであった蓋然性が高いため、ウェインの件において当職は薬物誘発による不安障害は除外した。
(1)ストレス
3.3.6
当職の第一報告書の項目1.4.1で述べたように、ウェインが1999年末~2000年初めに静岡でのストレスのかかる仕事によりストレス症状を患っていたことを、彼は常に明確にしていた。
原注:これらの症状はSTRC病院耳鼻科の患者カルテ情報の12頁にも記録されており、それには、疲労/だるさ、こめかみ付近の圧力、側頭静脈の膨張、息切れが含まれていたが、手掌の発汗と空回りする纏まらない思念については言及されてはいなかった。
3.3.7
ウェインは、これらの殆どのストレス症状は2000年3月末に転職した後に消失したと当科に報告した。しかし、13頁で彼が新しい職を大変気にいっていると述べたにも関わらず、STRC病院耳鼻科の患者カルテ情報にはこれを立証するものが何も記載されていない。彼はまた、最初の月の研修で少し疲れたとも述べており、特に4月中旬には少し気分がすぐれなかった。このすぐれない気分は彼の以前の仕事によるストレスに関連したものかまたは別の理由からのものであったかについて当職は意見を述べることができない。
3.3.8
上記に基づき、当初考えられたように、ウェインはX医師のもとでの治療を開始する以前に、前述のストレス症状から完全に回復はしていなかった可能性をも考慮せねばならない。
3.3.9
上記のストレス関連の症状に加えて、2000年5月11日の目まい発作とその後の平衡障害の確診を得ることができずにいたことからの不安は感じていたとウェインは常に明らかにしていた。
3.3.10
しかし、たとえ彼の以前の仕事に関連するストレス症状、及び目まい発作の原因が不明である不安を抱えていたとしても、これらの症状が、耐性、離脱症状や依存症が上記のDSM-IV-TRに述べられている理由により発現したという事実を損ねることにはならないことは明確にしておかねばならない。
(2)慢性不安障害
3.3.11
ウェインの薬物療法中の症状悪化と新たな症状の発現は、依存症とは対立するものとして、慢性的先天性不安障害によるものだという主張があるとの報告を当職は受けている。
3.3.12
下記はウェインが慢性的先天性不安障害を患っていなかったことを示す指標である。
- テハール医師作成に係る書簡(甲A19号証)、及びアラン・ガイ医師作成に係る書簡(甲A18号証)で説明されているように、以前には何の心理的及び神経学的な訴えの前歴がない
- 日本に在住中の1999年以前の3年間に着目すべき病歴がない
- 日本での最初の検査や診断では不安障害は指摘されなかった
- Oセンターの患者カルテ情報で述べられているように、不安障害はベンゾジアゼピン服用後に初めて診断された(甲A6号証)
- ベンゾジアゼピン服用後に初めて精神不安定を生じ、それには、パニック発作、不安、抑うつ、気分動揺、攻撃性、混乱、気が狂いそうになる感じが含まれていた
- 薬物療法中にはストレスを感じる出来事の明らかな増加はなかった(彼の状態が悪化し彼自身その理由がわからなかった事実は別として)
- ウィットウェル医師作成に係る書簡で述べられているように、ベンゾジアゼピン服用後に初めて仕事に就ける体調ではないと宣言された(甲A7号証)
- 離脱療法の最初の段階の後、症状が改善した(項目3.1参照)
- 現在再び日本に居住しており、今は公判中により更なるストレスにかかっているが、以前より良い健康状態を維持している
(3)その他の考慮すべき点
(逃避症候)
3.3.13
薬物療法中の‘症状のぶり返し/悪化’(項目2.1.3)は、逃避症候(元々の訴えの症状が再浮上すること)によるものであったという議論も可能であろう。しかし、逃避症候も耐性や薬物効果の喪失の結果により起こるものであるため、この議論がすでに充足している耐性の基準を損なうことはない。
(病気の進行)
3.3.14
薬物療法中の‘新たな症状’(項目2.2.3)は、病気の進行によるものであったとの議論も可能であろう。しかし、(新訳注:‘新たな症状’を)全体的臨床像に照らし合わせてみると、下記に説明される通り、それら(新訳注:‘新たな症状’)が、離脱によるものであった蓋然性は、極めて高いということが明らかになる。
- 薬物療法中にはストレスの多い出来事の明らかな増加はなかった。
- これらの新たな症状は漸減療法中に再び悪化し(症状のリバウンド)そして全てのベンゾジアゼピンの処方が中止されたとたん、徐々に消えた/消失した。
- 漸減療法中、これらの新たな症状には他の新たな離脱症状が伴い、全てのベンゾジアゼピンの処方が中止されたとたん、これらもまた徐々に消えた/消失した。
原注:薬物中止後に改善した症状の例外はパニック発作であり、当職の理解によると、これは続いたり消失したりしながら軽くなり、時間とともに改善している。パニック発作に関しては、遷延性離脱症状、依存症経験による心的外傷、更に、その後の賠償訴訟のプレッシャーを含む長期的影響をも考慮に入れねばならない。
(依存症が不安障害を惹き起こすこともある)
3.3.15
上記に加え、下記の臨床研究に基づきアシュトン教授が指摘しているように、(新訳注:ベンゾジアゼピンによる)依存症は、不安障害のように薬剤の投与による改善を意図した症候それ自体を、惹起すことがある。
“過去、明らかに安定状態にあった患者がベンゾジアゼピン治療をしない場合に精神的症状を生じたかどうかについて述べるのは不可能である。それにもかかわらず、定期的なベンゾジアゼピン服用後に生じる症状の最初の発現、精神的病歴に関係なく全患者が似た症状を発現したこと、また、薬物離脱後の改善の全ては、症状がベンゾジアゼピン服用によるもので、潜在する不安神経症からではないということを示している。この考えはレーダー、タイラー、その他によっても表明されている。
患者がベンゾジアゼピンの服用をまだ継続していた間に症状が出たということは耐性の発現を示唆している。長期間使用による症状は集中力の低下および記憶喪失、精神運動機能の低下、抑うつ、また感情麻痺が含まれると言われている。抑うつ病歴のある2人の患者に発現した感情麻痺を例外として、全患者にこれらの症状が生じた。それでもなお、患者がベンゾジアゼピン服用を持続した間、ベンゾジアゼピン離脱に伴う他の症状を生じた。それらは、動揺、パニック発作、広場恐怖症、幻覚、ほてり、発汗、胃腸障害、筋肉痛、感覚異常、その他多数である。いくつかの症例では、ベンゾジアゼピンの処方が増量され、症状の一時的な緩和がみられた。”(Benzodiazepine Withdrawalベンゾジアゼピン離脱症状:An Unfinished Story.終わらない物語 C.H.アシュトン教授 1984、オンラインバージョン10/13頁参照)。
(既に存在していた症状)
3.3.16
多くのウェインの症状はすでに存在していたということで、依存症また離脱症状に関係してはいなかったという議論も起こりうる。しかし、これはそのように単純なものではない。なぜなら依存症の場合、すでに存在している症状はたいてい、性質、頻度、また持続期間において変化するものであり、それにより、元々の訴えと離脱症状の発現の違いがわかり易くなる。下記はウェインの件においてのいくつかの例である。
3.3.17
筋肉の硬化 ― ウェインが当初より筋肉の硬化を生じていたことは承知であるが、最初に改善した後にぶり返し、顎が動かなくなるほど悪化した理由から、これは性質において変化していたということになる。すなわちこれは下記のアシュトン教授による臨床研究において観察されたように離脱を示唆している。
“体のあらゆる部分の痛みは顕著であった。頸部痛および後頭部頭痛、四肢の痛みはズキズキ、破裂するような激しい、あるいは切断されるような痛みと表現され、また顎の痛みといった症状の全ては、たいてい顕著なものであった。多くの患者が歯の痛みを訴え、何人かは明らかに問題のない歯を抜歯するに至った。無歯顎の患者さえも”歯の痛み“を訴えた。全患者はある段階で金属性の味、或るいは不快な味がすると訴えた。多くの場合、筋肉の凝りと衰弱が頸部痛、四肢の痛み、また顎の痛みに伴った。手と顎の震え、また特に太股の筋肉の痙攣が何人かの患者に見られた。多くの患者が、特に脚の急なひきつりを訴えたが、時には肩と背中の症状をも訴えた。ミオクローヌス反射も何人かの患者にて観察された”(Benzodiazepine Withdrawalベンゾジアゼピン離脱症状:An Unfinished Story.終わらない物語 C.H.アシュトン教授 1984、オンラインバージョン8-9/13頁参照)。
原注:ウェインのカルテによると(テハール医師)、彼は1989年3月に重い材木を持ち上げてからぎっくり腰になって以来、時折の腰痛の前病歴があり、またウェインによると、1997年後半に最初に発現した、悪い姿勢のままノート型パソコンで長期にわたりデスクワークをしていた時に起こった(宮崎県地方自治体)時折の頸部痛の病歴もあった。
しかし、ベンゾジアゼピン処方開始後4~6カ月後の時点で、ウェインの筋肉の凝りの性質は上記の性質とはかなり異なり、ウェインは初めて、彼の口を適切に閉じることができなくなった程の顎のこわばりに悩まされ始めた。更に、以前は腰や首のあたりだけに限られ時折発生していた筋肉の凝りが、彼の身体全体に広がり、時折発生から継続的になりその性質が変化した。ウェインはその後、自宅にて毎晩自分の太股をマッサージする習慣ができたと報告している。
この事は、ウェインがこの症状を緩和するために2000年11月より地元の埼玉にある理学療法診療所にて定期的なディープティッシュマッサージの治療を開始した事実により立証される。当職はまた、M医師から上記の埼玉にある理学療法診療所(T整骨院)宛ての紹介状の英語の写しを見る機会があり、そこには“頭頸部や肩部の筋肉の張りの増大に苦しんでいる”とある。
3.3.18
過敏性 ― ウェインが目まい発作に伴って光に対して敏感になったことは承知であるが、ウェインが、テレビ番組の映像と音声が彼のまわりの一般の人々に比べて耐えられないものであったと報告していることから、この過敏性は離脱において性質が変化していたことがわかる。更に、この過敏性には臭覚の過敏性が含まれ、それは彼が自身の体臭が油っぽい臭いを発していると感じたことから明らかであった。このタイプの過敏性は、下記のアシュトン教授による臨床研究において観察されたように離脱を示唆している。
“ベンゾジアゼピン離脱症状の特性は全ての感覚、すなわち聴覚、視覚、触覚、味覚と臭覚に対する過敏性が増大するということである。極端になるとこれらの感覚は不快なものとなり得る。ある女性は時計の針の音が耐えられないほどうるさいという理由で、家中の時計を止めなければならなかった。多くの人々は通常の光が目もくらむ程まぶしかったため、サングラスを装着しなければならなかった。一部の人々は、肌や頭皮が非常に敏感になり、まるで虫がはっているように感じた。心音が聞こえ、耳ではシューという音や響き渡る音(耳鳴り)が聞こえた。多くの人々が口の中で金属性の味がすると訴え、また幾人かは自分たちの体から変わった、不快な臭いがすると訴えた。”(Benzodiazepinsベンゾジアゼピン:その効能と中止の仕方 C.H.アシュトン教授 2002年8月改訂-オンラインバージョン7/22頁、第3章参照)。
(症状の識別)
3.3.19
元々の訴えの症状と依存の症状をどのように識別できるかとの質問がある。確かに、いくらかのケースでは症状が非常に似ているため、これらの間での識別は非常に難しいこともある。この理由から、単にいくつかの症状の分析を基に判断を下すことはできないのである。むしろ、全てはDSM-IV-TRの基準の適用を含み全体的に考究される必要がある。
3.3.20
一般的に、もし薬剤が望ましい効果に到達しているならば、患者の状態は疑いなしに改善する。ベンゾジアゼピン依存症の場合では、初めての症状の改善を覚えた後に耐性と合致する症状パターンが生じることが多い(項目2.1参照)。その後に薬物療法中における症状の更なる悪化と新たな症状の発現がある場合、それは離脱症状を示唆している。しかし、病気の進行も考慮されねばならない(3.3.14参照)。もし患者が漸減療法において他の新たな離脱症状に伴ってこれらの症状が増すならば(症状リバウンド)、ウェインの場合もそうであったように、この症状は依存症により起こった蓋然性が高い。
3.3.21
更に、これらの症状パターンを、処方歴、治療後の労働不能、そして薬物離脱治療後の労働復帰能力などを含む全体的臨床像(第一報告書の11~12頁参照)、及び失敗に終わった漸減療法の試みなどを含むDSM-IV-TRの適用(上記の第二章参照)に照らし合わせてみると、薬物療法中の症状の悪化と新たな症状の発現が依存症により起こった蓋然性は、極めて高いということが明らかになる。
(不安症の議論の妥当性)
3.3.22
ウェインが不安障害を患っていたかどうかに関する議論の結果は彼がベンゾジアゼピン依存症であった事実を損ねることはないということは明確にされねばならない。
3.3.23
不安障害とベンゾジアゼピン依存症は共存することがある。実にベンゾジアゼピンを処方された多くの人々が潜在する不安症に関連する状態を生じており、そもそもこの理由により薬剤が処方されることがある。しかし、前述のとおり、ベンゾジアゼピンは中毒性の高い薬剤であり、回りまわって不安症を惹き起こすこともあるため、約2週間以上継続されない治療にのみ適しているのである。
3.3.24
患者が不安障害を患っていたために依存症ではなかったとの意見は根拠のないものであり、ベンゾジアゼピン依存症の可能性を除外するものではない。誰でも約2~4週間以上ベンゾジアゼピンを服用する者は、不安障害を抱える人々も含めて、耐性と離脱を発現しやすくなる。そのため、ウェインが不安障害を患っていたかどうかの議論はこれらの基準を除外する根拠とはならない。
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3.4 以前の報告書と証拠の一貫性
3.4.1
証拠(患者カルテ情報)に関する当職の以前の報告書の一貫性に懸念の表明があることは承知である。直接、患者カルテ情報を検証した後、当職は、当職の第一報告書第一章に述べられた病歴に関する下記を確認することができる。
- 項目1.4.8はOセンターの患者カルテ情報の2頁にある問診票と合致している(甲A6号証)。
- 項目1.4.7はウェインのX医師への手書きによる記録と合致している(甲A26号証)。
- 項目1.4.6はウェインのX医師への手書きによる記録と合致している(甲A12号証)。
- 項目1.4.5は症状が一旦軽快したというウェインの報告に基づいており、これは、X医師の患者カルテ情報の8頁にまとめられている筋肉の硬化の最初の改善により立証される(乙A1号証)。
- 項目1.4.4はX医師の患者カルテ情報の12頁と合致している(乙A1号証)。
- 項目1.4.3はX医師の患者カルテ情報の11頁の要約と合致しており、その殆どの症状は基本的に同じ意味を指す異なる用語である。例えば目まい(乙A1号証)。
- 項目1.4.2は、項目1.4.1に述べられた仕事によるストレスの症状の殆どは、2000年4月に彼が転職した後にほぼ消失したというウェインの報告書に基づく(これに関する意見は項目3.3.6~3.3.10参照)。
- 項目1.4.1は、彼が仕事によるストレスの症状を覚えていたというウェインの報告に基づいており、それはSTRC病院耳鼻科の患者カルテ情報の12~13頁と合致している(これに関する意見は項目3.3.6~3.3.10参照)。
原注:当職の第一報告書の第一章に述べられているこれらの症状はウェインによる当科への説明と合致している。
3.4.2
患者カルテ情報にはいくつかの追加情報が記載されていた。しかし、それはDSM-IV-TRの基準の適用、あるいは依存症診断においていかなる重要な意味をも持たない。
3.4.3
2008年12月19日付のA氏と当職の間で交わされた質疑応答の書類にて、当職は第一報告書の項目1.4.6と1.4.7で述べられている殆どのウェインの症状の可能な機序を示し、また、いくつかのウェインの症状については更なる意見を述べることはできないと伝えた。これはより他覚的判断をするためには更なる情報が必要であったためである。
しかし、漸減療法中にこれらの多くの症状が増大した事実、及び、これらが知られているベンゾジアゼピン離脱症状、同じく他の有害作用、あるいはベンゾジアゼピン症候群と合致している事実は変わらない。これらは可能性としてのみ述べられたということを気に留めていただきたい。また当職の第二報告書で言及したように、ベンゾジアゼピン服用に関連する症状/症候群の単位は沢山存在し、その中には、耐性、依存症、離脱、逃避症候、症状のリバウンド、副作用などなどが含まれ、それらは幾分かの重なり合いを有しているのが通常である。
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3.5 今後の報告書と証言の可能性
3.5.1
当職の理解によれば、下記のように、ウェインの賠償訴訟に関する3つの争点がある。
- 依存症
- インフォームド・コンセントとモニタリング
- 長期的影響/被害
(今後の報告書)
3.5.2
上記の(2)について、当職の理解によれば、これに関して提出した証拠/議論が不十分であったために、ウェインの申し立てのインフォームド・コンセントとモニタリングは第一審では認められなかった。それに続き、当職は、世界保健機構によりまとめられた勧告に関するウェインの件のインフォームド・コンセントとモニタリングについての報告を喜んで提供する意思がある。
3.5.3
上記の(3)に関して、当職の理解によれば、ウェインの薬物離脱治療歴後の長期的影響における議論がある。それに続き、ウェインの件におけるベンゾジアゼピン服用の長期的影響についての報告書を喜んで提出する意思がある。
(証言の可能性)
3.5.4
当職の証言の可能性について、喜んで公判日のために日本に渡航する意思がある。しかし、実際の日時は当職の雇用主に数カ月前に確認される必要がある。
原注:上記の(1)に関する数部の報告書を提出したことに加えて、意見聴取の可能性がある日時の前に、上記の(2)と(3)に関しても同様に報告書を提出することが望ましいと考える。これにより、可能な限り最も正確な情報を提供するために証拠に基づく全事実を把握する時間を見込むことができる。それにより全関係者が事前に根拠を考察することができ、また、あらゆる質問を用意することが可能となり、当職は喜んでそれらの質問に返答をする意思がある。
また、これらの報告書を作成するには時間がかかることを理解していただきたい。当職は病院にての職務があり、また、ウェインと彼の弁護士との間で、2つの異なる言語での情報伝達の必要があることを理解していただきたい。
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このサイトの主要言語は英語です。
その翻訳は私自身を含む複数の人によって手がけられました。
私の母国語は日本語ではありませんので何卒ご理解いただきたくお
「ベンゾジアゼピンを飲むと災難がやって来る。」
アンドルー・バーン医師
オーストラリア, NSW, レッドファーン
ベンゾジアゼピン依存 (1997)
「もし何かの薬を飲み続け、それが長い長い災難をもたらし、あなたからアイデンティティをまさに奪い去ろうとしているのなら、その薬はベンゾジアゼピンに違いない。」
ジョン・マースデン医師
ロンドン大学精神医学研究所
2007年11月1日
「我々の社会において、ベンゾは他の何よりも、苦痛を増し、より不幸にし、より多くの損害をもたらす。」
フィリップ・ウーラス下院議員
英国下院副議長
オールダムクロニクルOldham Chronicle (2004年2月12日)
「ベンゾジアゼピン系薬剤はおそらく、これまでで最も中毒性の高い薬物であろう。これらの薬を大量に処方してきた途方もなく大勢の熱狂的な医師達が、世界最大の薬物中毒問題を引き起こしてきたのだ。」
薬という神話 (1992)
「薬があれば、製薬会社はそれを使える病気を見つける。」
ジェレミー・ローランス (ジャーナリスト)
インディペンデント紙 (2002年4月17日)
「製薬会社に対して、彼らの製造する薬について公正な評価を期待することは、ビール会社にアルコール依存に関する教えを期待するのと同じようなものである。」
マーシャ・エンジェル医師
医学専門誌"New England Journal of Medicine"元編集長
「ベンゾジアゼピンから離脱させることは、ヘロインから離脱させるよりも困難である。」
マルコム・レイダー教授
ロンドン大学精神医学研究所
BBC Radio 4, Face The Facts
1999年3月16日
「長期服用者のうち15%の人たちに、離脱症状が数ヶ月あるいは数年持続することがある。中には、慢性使用の結果、長期に及ぶ障害が引き起こされる場合もあり、これは永続的な障害である可能性がある。」
ヘザー・アシュトン教授
医学博士、名誉教授
Good Housekeeping (2003年)
「クロノピン(クロナゼパム)とは恐ろしい、危険なドラッグだ。」
この気の毒な問題に取り組む全ての関係者は、トランキライザー被害者の為に正義を提供するよう努めるべきである。
「'benzo.org.uk'というサイトは実に素晴らしい。」
マーシン・スライズ
ロシュ社ポーランド 製品マネージャー
The informed consent argument formed an integral part of the case because it was needed to prove negligence.
Without negligence there would have been no accountability, and therefore, no case from the outset.
In section 4 of his fourth report, Addictive Medicine Specialist, Dr. Graeme Judson explained the principles of prescribing and informed consent in relation to my case and sample applied.
The monitoring argument also formed an integral part of the case because it too was needed to prove negligence.
As above, without negligence there would have been no accountability, and therefore, no case from the outset.
As with informed consent, in section 4 of his fourth report, Addictive Medicine Specialist, Dr. Graeme Judson explained the principles of prescribing and monitoring in relation to my case and sample applied.
When do you suppose my condition was at its worst?
- When I was experiencing moderate levels of work related stress?
- When I was working a high pressure job and involved in a rigorous court battle in another country and language against a world famous doctor, the hospital, and the teams of lawyers and entire networks that no doubt sat behind them?
The answer is A.
Why?
Because at the time of situation (B) above, I wasn’t being mislead by a doctor feeding me a cocktail of highly addictive prescription drugs.
Instead I was employing the use of practical (non-drug) stress management techniques learnt in New Zealand before I returned to proceed with litigation in Japan.
Same principles applied to coping with the affects of the 3-11 disaster...
このセクションでは、私が闘った日本の裁判についてお話します。特にそこで現れた、明らかに不当な処置と思われる事例のかずかずを紹介します。これらの事例をわかりやすくお伝えするために、「東京高等裁判所の判決」と「中毒治療科の報告書」への参照箇所(リンク)がいくつか出てくるので是非ご参考ください。また、「中毒治療科報告書」は、一貫して、法的証拠およびDSM-IV-TRの依存症診断基準に基づいて書かれていることにもご留意ください。
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