証人による陳述書(2)
(翻訳文)
2006年8月13日
陳述書
ウェイン・ダグラスさんは私の個人的な友人で、1996年からの知り合いです。初めて会ったのは、彼が国際交流コーディネーターとして働いていた宮崎県北方町役場の仕事で、ニュージーランド祭りを彼が企画していた時です。彼はそのお祭りに参加してもらおうと、日本全国からニュージーランド人を集めていました。当時、私はJETプログラム(Japan Exchange Teaching Programme:語学指導等を行う外国青年招致事業)に外国語指導助手(Assistant Language Teacher:ALT)として従事していました。その頃から今日まで、私とウェインは強い友情を育んできました。
ウェインから、埼玉県国際交流協会の国際交流コーディネーターとして契約したと、再び連絡があった時、私は喜びました。当時、私は、埼玉県狭山市教育委員会の外国語指導助手として勤務していたからです。ウェインは、私の家から最も近くに住んでいたニュージーランド人の一人でした。2000年3月から、私は彼と定期的に連絡をとっていました。つまり、彼に持続的な平衡失調をもたらすことになる目眩発作が起きる約2か月前から、私たちは頻繁に連絡を取り合っていたということです。具合を悪くさせたこの発作の後も、毎週定期的に電話で連絡を取り続け、大体2週間ごとには会っていました。そして、後の薬物治療期間中にも、このような形で私とウェインは連絡を取り合い、それは、2001年3月下旬にウェインが日本を離れてニュージーランドに帰る直前まで続きました。
体調を崩した前述の発作以前に私が知っているウェインは、健康的かつ活動的で、自信があり、バランスのとれた、性格も常に明るく前向きなエネルギーを持った人でした。彼は一緒にいるといつも楽しくなる人だったのです。しかし、薬物療法が始まってから数ヶ月で、ウェインがいつもの彼ではなくなったことが私にはすぐに明らかになりました。彼は情緒不安定になっているようでした。(X医師による)この治療中に、彼の健康状態が、心身共に急激に悪化していったことが、私は心配でなりませんでした。
たとえば、2000年(平成12年)10月に埼玉スーパーアリーナでウェインに会った時のことです。彼はそこで、ニュージーランドのショーを開催していました。その時、彼は完全に薬物中毒にふけっているような感じで、痩せこけ、混乱し、青ざめて病んでいるように見えたので、そこにいた皆がウェインの健康状態を心から心配していました。
その次にウェインに会ったのは、(同年の)11月でした。私は、他の友人と一緒に東京で行われるボクシングの試合の観戦に彼を誘いました。健康状態の悪化のために、ウェインは自宅に引きこもりがちだったので、私たちは彼が落ち込んでいるのを見ていられなくなり、この機会が彼にとって少しでも気分転換になればと考えました。ウェインは歩くことも困難だったので、私は途中、大宮に彼を迎えに行きました。しかしそこで、彼の健康状態が、たった数週間前に会った時よりも相当悪化していることが分かり、私は残念に思いました。
彼の顔は電球の形のように更に痩せこけ、目の周りはくすんでくぼみ、動揺し混乱している様子がはっきりと分かりました。彼はどこか孤立した感じで普通にコミュニケーションをとることが難しいようでした。明らかに彼は体調が悪化しており、非常に疲れ切った様子で痩せこけて見えました。彼は50メートル程度の距離を歩くことも出来ないほど体調が優れなかったので、私たちは駅と駅との間でもタクシーに乗らなければいけなかったことを記憶しています。
数週間後、私は、川越市のカフェで他の友人と一緒にウェインとまた会いました。そして、私とその友人が唖然としたことに、ウェインはそこで他の客と口論を始めたのです。ウェインがそのように攻撃的になることは、彼の元々の性格からはまったくかけ離れたものでした。その時私は、当時ウェインが飲んでいた薬によって彼の健康状態は心身共に損なわれていることを、確信しました。
当時私は、ウェインの差し迫った身の安全や、彼の将来の健康や生活が非常に心配になったことは言うまでもありません。そこで、私は彼にチケットのとれる次の飛行機でニュージーランドに帰国することを強く勧めました。そのアドバイスに対して、ウェインは、帰国する前に雇用契約を最後まで完了したいと返事しました。私の個人的な印象では、これはウェインの命にかかわることだから、ニュージーランドに帰ることが何よりも大切であると思えるほど、彼の心身の状態は酷いものだったのです。最終的に、2001年の3月にニュージーランドに帰国するまでに、彼は極めて混乱した状態にあり、疲弊しきっていました。雇用契約の満了まで日本に留まるという彼の当初の決断を支持してしまったことを私は後悔しました。ウェインは、何よりもとにかく助けが必要な状態にあったのです。
ウェインは、平衡失調の専門家である日本人医師による薬物療法を受ける間に、次第に、彼の体調や意欲が損なわれていき、また、目眩発作以前には持っていた、生きることへの深い情熱のようなものも失われ、元々健康で快活であった彼は変貌してしまいました。彼の精神的、情緒的健康状態はこの間、急激に悪化し、私はウェインの変わり様にショックを受けました。彼は活気を失い、痩せこけて、落ち着きがなくなり、混乱し、気分も落ち込み、攻撃的になり、そして、全体的に自信を失っていました。
しかし、私自身がニュージーランドに帰って、2002年後半に、ウェインと再会する機会を持った時、彼の外見や精神的な様子がかなり改善していることが分かり、帰国前のウェインとはあまりに対照的で驚きました。その頃には、彼は筋肉質の体型になって元の健康な体重に戻っているようでした。また、自分自身について前向きな光を取り戻しているようにも見えました。最後に2001年の3月に日本で会った前回よりも、彼はかなり自信を取り戻していました。
2005年の初めごろにウェインが再び日本に戻るまで、私は彼と定期的に会い続けていたので、彼が日本で処方されていた薬を止めて以来、彼の心身全般の健康状態が一貫して改善し続けていたことは、私にははっきりと分かりました。
ウェインが処方薬依存によって引き起こされた損害や苦痛に対して、賠償請求訴訟の準備をしていることをかねてから聞いていました。また、これがウェインの健康や生活全般に新たな別の損害をもたらしてきたことも知っています。
前述したように、私は日本で何度かウェインと一緒に仕事をした経験があります。また、在ニュージーランド日本総領事館でも一緒に働いたこともあります。彼は日本における国際交流に大きな貢献をしており、高く評価されてきました。今回、日本の病院に対するこの賠償請求訴訟で彼が傷ついていることを私は知っています。親友そして元同僚として、私は、彼が正義を勝ち取りこの問題に幕が引かれ、彼が人生を取り戻し、日本で活躍し続けることを、心から希望しています。
Yours Sincerely,
Edward Te Ua
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その翻訳は私自身を含む複数の人によって手がけられました。
私の母国語は日本語ではありませんので何卒ご理解いただきたくお
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「もし何かの薬を飲み続け、それが長い長い災難をもたらし、あなたからアイデンティティをまさに奪い去ろうとしているのなら、その薬はベンゾジアゼピンに違いない。」
ジョン・マースデン医師
ロンドン大学精神医学研究所
2007年11月1日