原告 第3陳述書
注 記
この陳述書は、元々私が自力で日本語で書いたものです。弁護士が全く修正することなく裁判所に提出したため、所々に不自然な日本語表現があるかもしれません。
はじめに
(1)
私、ウェイン・マイケル・ダグラスは、下記の事項についてより明確にさせる為にこの第3陳述書を提出させて頂きたく存じます。
A)処方不足分
B)治療観察(義務)
C)自律神経失調状診断
D)ベンゾジアゼピン依存症診断
E)その他の病歴(テーハー医師のカルテ)
F)回復段階
G)インフォームド・コンセント
H)相手側への挑戦
I)ジャドスン臨床部長(薬物依存療法科)及びアシュトン教授の信頼性
J)本件の重要性
K)更なる証拠
L)翻訳文
注:上記の幾つかの紛争点により、東京地方裁判所で当方の損害賠償請求が棄却された事が理解しております。処方不足分については、決裁後に、裁判官が自ら取り上げた紛争点となり、今までの私はこれに対して自分の意見を述べる機会を与えて頂いておりません。
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A.処方不足分
(2)
治療期間中、処方内服分数が不足していた時(特に依存症を形成していた2000年11月ごろ)もあった為、私はベンゾジアゼピンを服用せずにいられたと判断され、その結果、依存症ではなかったという判決が下されました。
(3)
しかし、ジャドスン医師の第3意見書によると、上記の判決が下された際、治療開始約4カ月後まで(完全に依存症を形成する前)の当初期間に、私は薬の余分を留めた可能性を全く配慮していませんでした。
(4)
下記の処方内訳は、X医師による最初処方内服分(2000年7月5日)からウィットウェル医師を受診した時までの最後処方内服分(2001年4月9日)の各内服分の全てを計上し、合計で277日になります。
(5)
また、処方内服分数が実際の治療期間の日数より少なく、私は依存症であったのに、毎日、薬を飲み続けられた可能性が十分にあった事も明確にします。
注:ジアゼパム換算率は、ジャドスン医師が第4意見書で使ったものと同じです。
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注記 (処方内訳)
The breakdowns of prescription doses given in middle of this section (articles 6~15) are very complex consisting of many tables. For this reason it has been made available to view in a PDF file. Click below to view.
(16)
2001年4月9日に、ウィットウェル医師の処方開始した時点で、M医師の処方による22回分、またX医師の処方による5回分(計:27回分)が余った事が明らかになります。注:以前にも説明しました通り、2001年1月22日(M医師の最初処方日)に同医師がレキソタン錠剤も処方しましたが、薬物のせいで私の体調が益々悪化していた事を痛感していた私は、同医師に相談した上で、レキソタンだけを内服しないことにしました。そのため、上記の余った27回分に加えて、16日分のレキソタン錠剤(1日1回の16回分)も持参していた筈です。
(17)
ジャドスン医師の最初診察の際、同医師に上記の薬物(小袋入りの細粉および錠剤)を見せた事をよく覚えています。ニュージーランドでは、ベンゾジアゼピン薬が規制薬物である為、ジャドスン医師は「よく空港の税関を通りましたね」と驚いた顔で言いました。そして、上記の余った27回分及び16回分のレキソタン錠剤の処分方法もよく覚えています。追跡診察では、「薬物の余った分はどうしたの?」とジャドスン医師に訊かれたところ、「トイレに流した!」と私は答えました。それほど嫌なものだと思って、トイレに流すのは、適切な終わりだと思っていましたが、振り返ってみるとあまりいいアイデアではなかったと反省しています。その理由、水道の中でも存在する生き物がたくさんいて、どんな生き物でもそのような危険物に曝さればかわいそうだと思うからです。
(18)
私はベンゾジアゼピン薬に曝された期間の合計は下記の通り。
担当医師 | 期間 | 日数 |
X医師 | 2000年7月06日~2001年1月22日 | 201日間 |
M医師 | 2001年1月23日~2001年4月08日 | 076日間 |
ウィットウェル医師 | 2001年4月09日~2001年5月05日 | 027日間 |
ベンゾジアゼピン薬に曝された日数の合計 | 304日間 (10ヶ月間) |
(19)
上記の数字により、私は、304日間 (10ヶ月間)ベンゾジアゼピン薬に曝された事がわかります。漸減段階は、全部で、40日間がかかりました。普段は、漸減療法は、それよりもっと時間がかかるとジャドスン医師は言います。しかし、インフォームド・コンセントをされず、X医師の診断と処方した薬には矛盾があり、またベンゾジアゼピンは非常に中毒性の強い薬物で様々な害なる副作用もある事実をようやくわかった私は、自分がX医師に騙され被害を受けたと感じましたので、1日も早くやめたいという気持ちが湧いていました。
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B.治療観察の義務
(20)
ジャドスン医師の第4意見書4.3事項に続いて、下記の事実についても注目して頂きたいと思います。
(21)
文献によると、処方内服を急にやめるのは大変危険で、けいれん性発作、精神病的発作、急性不安発作など非常に激しい症状を引き起こす恐れがあります。その為、患者の状態を常にきちんと観察し、処方をやめたりしないよう注意する必要があります。そうしないと、患者は、急に不安状態に陥って、自分のみならず、周りの人に対しても大変危険状態になるからです。
(22)
従って、ベンゾジアゼピン薬を処方する時は、次の診察日まで、内服分が不足にならないように処方する必要があると言え、担当医師にはその責任がある筈です。
(23)
しかし、上記の処方内訳を見ると、私の場合は、次回の診察日まで、X医師による内服分数が不足になったケースがいくつかあったことが明らかです。
(24)
これは、X医師が十分に観察(薬物療法管理)を行わなかった事を更に維持する筈です。
(25)
上記の処方内訳の通り、幸いなことに、私の場合は、初期段階で余分を溜めることができましたので、その余分を使うことにより治療期間を乗り越えることができました(無事だとは言えないけど)。
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C.自律神経失調状診断
(26)
2000年11月ごろ、依存症による症状がかなり激しくなり体調が悪化してたいので、少しでも休養を取ろうと思って、以前のホストファミリーの所に泊まりに行くことにしました。そして、私の新しい症状について話をしたら「自律神経失調状かも知れないよ」とホストファミリーのパパは言い出されました。その時は、「自律神経失調状」という言葉をはじめて耳にしました。
(27)
そして、その数週間後、大宮駅内の本屋さんで買物をしていた時、「自律神経失調状」という本を偶然に目にしました。さらに偶然ですが、その本の作者はOセンターの心療内科のM先生でした。少し目を通したところ、当時の私が悩まされた症状は、「自律神経失調状」とはあまり変わらないと思って、おそらく私の病因はこれだと思い込んでいきました。
注:その当時の私は、自分が依存症に悩まされて、またベンゾジアゼピン依存は、薬剤が本来治療する筈であった症状(自律神経失調状)と非常に似た症状を発現することも知りませんでした。
(28)
この時点で、体調が悪化していた為、X医師の診断や治療に対する不信感を抱くようになりました。私は完全に混乱状態に陥って、新しい診断と治療を必死に求めようとしていました。
(29)
私は上記の本を買って内容を読んだところ、環境の違いや異文化また日頃の問題によるストレスが原因だったら新しい治療を受けて回復できるかも知れないという新しい希望を大歓迎しました。
(30)
そして、STRC病院のK医師の所に戻り、X医師の治療を受けてみましたが、体調が悪化している事を同医師に訴えました。また、この時点で、自律神経失調状と非常に似た症状が発現してしまった事も訴えました。このため、「自律神経失調状」という疑いは初めて出てきました。そして、K医師は、「自律神経失調状」という本の作者であるOセンター心療内科のM先生への紹介状を用意してくれました。
(31)
上記の本を手に入れて、新しい診断と治療を必死に求めようとしていた私は、自分が「自律神経失調状」であることを思い込んで、そのようにM先生も説得しようとしていました。
(32)
今の私は、それを考えて見ると、馬鹿らしい行動でしたが、ベンゾジアゼピン依存症に罹患されると、頭が普通じゃなくなり、そして元気になる希望を掴むために何でもやります。普通の人はこれが理解できず、私はただの神経質だと言われそうですが、中毒経験者はよく理解できると思います。
(33)
また、上記の時点で、私は自分がベンゾジアゼピン依存症に罹患されていた事さえ知らず、依存症に伴う数多くの心身的症状に悩まされ、かなりの混乱状態に陥っていました。M医師の診察の際、私はいつもの自分ではありませんでした。
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D.ベンゾジアゼピン依存症診断
(34)
私は、M医師を納得できたと同じ様にジャドスン医師も納得したと、相手側が主張する可能性があると考えられるので、事前にこれについて、私の意見を述べさせて頂きたいと思います。
(35)
ベンゾジアゼピン依存症の診断については、私がジャドスン医師を納得した可能性は先ずないです。その理由、私はニュージーランドに帰国して、ウィットウェル医師またジャドスン医師を受診して、依存症の診断がつかったその時点までは、ベンゾジアゼピン薬は何のものかさえ知らず、自分が依存症に罹患していた事さえも知らず、依存症による症状はどんなものかについても全く知りませんでした。
(36)
逆に、私の方は、ウィットウェル医師とジャドスン医師に説得され、同医師らにベンゾジアゼピン依存症、またそれに伴う症状などについて教えてもらいました。
(37)
さらに、その時点では、私はウィットウェル医師とジャドスン医師を納得しようとする理由はなく、初めて損害賠償請求をしようと思ったのは、2003年初旬ごろであったからです。この時、私はベンゾジアゼピンについての研究や損害賠償請求の準備を開始したのです。
(38)
本件の内容について、関係者各位に、より正しく説明するには、先ず、自分の頭の中でいろいろと明確にする必要になりましたので、ベンゾジアゼピンについての研究、情報分析、専門家の意見を尋ねるなどの準備をする必要になりました。
(39)
その結果、今の私は、以前にもまして、自分がベンゾジアゼピン依存症であった事実を確信しており、そして今まで提出してきた専門医(アシュトン教授を含め)の文献、中毒性薬物専門医による意見書等の証拠により、関係者各位もその事実を信じベンゾジアゼピンの危険性についても少しでも理解することができれば幸いです。
(40)
日本では処方薬依存に悩まされたのは、私だけに限った訳ではありません。今現在、処方薬依存は日本国で広がりつつあります。この事実、本年8月28日(土)にNHKで放送された「広がる処方薬依存」という番組で明らかになる事実です。
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E.その他の病歴:テーハー医師のカルテ
(41)
ジャドスン医師の第4意見書3.1事項に続いて、テーハー医師のカルテ4頁には、「日本滞在中、胸痛(左側)ECGの結果、異常所見なし。Precordial catch(前胸部キャッチ)」という訴えが1995年6月27日に記載されていますが、この機会を借りて、詳しく説明したいと思います。
(42)
上記の訴えが2回起こった事を確認することができ、1回は日本で、そしてもう1回はニュージーランドで起こり、いずれも約2週間程度で続きました。テーハー医師のカルテの記載によると、同医師は “Precordial catch” だと判断し、これは局所的に起こる筋群けいれんによるものだそうです「This is believed to be localized cramping of certain muscles groups」(Wikipedia)。
注:上記21事項(16頁)の “Convulsions” と、上記(42)事項の “Cramps” は全く違うものですが、日本語ではいずれも「けいれん」になるようですので、誤解されないように下記の通り各定義を挙げる。
Convulsions: A general term referring to sudden and often violent motor activity of cerebral or brainstem origin.
http://www.online-medical-dictionary.org/omd.asp?q=Convulsions
Cramps: A sustained and usually painful contraction of muscle fibers.
http://www.online-medical-dictionary.org/omd.asp?q=Cramps
(43)
この左側の胸痛が起こった2回の時も、トレーニングジムでベンチプレスをやっていた時は、より痛くなった記憶があり、“tweaked Muscle”(軽度筋捻挫)あるいは、“pinched nerve”(局所的に起こる鋭い痛み)のような感じでした。また、前回起こった時の1995年以来、再発はない事も確認することができ、この事実はその後の病歴(各カルテ)と合致するものである。
(44)
2000年~2001年ごろ、薬剤治療期間中に出現した「胸部の圧迫感(甲A26)」は、上記の左側の胸痛に起因すると相手側が主張してみるかも知れません。
(45)
しかし、上記の「左側の胸痛」とは違って、私の依存状態に伴った「胸部の圧迫感(甲A26)」は、長期間(6ヶ月間以上)に渡って継続していて、胸の左側に限らず、寧ろ胸部を全面的に罹患していました。しかも、私の依存状態に伴った「胸部の圧迫感」は圧迫する感じで、痛みの感じではありませんでした。さらに、私の依存状態の場合は、「胸部の圧迫感」は数多くの依存症による症状と同時に出現しましたが、上記の「左側の胸痛」の場合は、他の症状は全くありませんでした。
(46)
上記の診察同日に、もうひとつ訴えたのは、「軽度な関節痛および尺骨偏位」でした。
(47)
この訴えがあった事を確認することができますが、これは指だけに限っています。テーハー医師の説明によると、これは手の初期関節炎と一致するものだということでした。また、それ以来、さらなる悪化はない事また痛みもない事も確認することができ、この事実はその後の病歴(各カルテ)と合致するものである。
(48)
これは、薬剤治療期間中に出現した「関節の痛み(甲A26)」とは全く違うものを明確にして置きたいと思います。薬剤治療期間中に出現した「関節の痛み(甲A26)」は、身体の一部(指)に限らず、寧ろ、顎を含め身体全身に罹患していて、痛みも伴いました。
(49)
テーハー医師のカルテの4頁に、「胸部X線」という記載(1996年6月18日)もあります。
(50)
私は上記の胸部X線を自ら依頼した事を確認することができます。その理由、当時の私はJETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)を応募中であって、申込の必要条件として、胸部X線、血液検査(血液型を含む)、血圧、身長などをしなければなりませんでした。これについては、カルテに記載された通り「これから日本政府(宮崎県北方町役場)において日本でのPR活動に従事する」確認することができます。この診察は、病気などには全く関係ありませんでした。
注:その後、時間が経ってよく覚えていませんが、血液検査については、卒業した大学のクリニックで別の検査として行われた可能性です。
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F.回復段階
(51)
ジャドスン医師の第3意見書3.1事項また第4意見書2.5事項に続いて、この機会を借りて私の依存症からの回復について更なる情報・事実を提供したいと思います。下記の表の通り、時期によって、私の体調・体力は変わった事がわかります。
身体能力 |
2001年4月ごろ (薬剤治療の後) |
2001年中旬~下旬ごろ (離脱の初期段階の後) |
2003年中旬 (回復の初期段階の後) |
2010年 (現在) |
歩行 | 50メートルで精一杯 | まだ歩行するには無理があったが徐々に回復に向かっていた | 山で一日中のハイキングをする可能 | 山で一日中のハイキングをする可能 |
ランニング | 不能 | やってみようも無い | 1時間程度のランニングをする可能 | 1時間程度のランニングをする可能 |
ベンチプレス | やってみようも無い | 30kgの約10回で精一杯 |
90kgの10回可能 最大限:110kg |
90kgの10回可能 最大限:110kg |
スクワット |
不能 |
やってみようも無い | 180kgの10回可能 | 鼠径部痛のため不明 |
体重 | 64kg | 回復しつつ | 84kgの筋肉 | 84kgの筋肉 |
食欲 | 悪い | 回復しつつ | 良好 | 良好 |
睡眠 | 悪い | 回復しつつ | 良好 | 良好 |
(52)
2003年初旬に私は、損害賠償請求の準備を開始して以来、後悔はひとつだけあります。それはニュージーランドに帰国後は、依存状態最中に当時の体調の写真を撮らなかった事です。しかし、元気になろうとすることで精一杯の為、写真を撮ろうとかは思いにも寄らないものです。私の母は陳述書で言いました通り、私は半分死んでいるゾンビーのように見え、そしてまさにそのような気分でした。
(53)
自分の写真集の中を探しに探したところ、当時の恋人であるKさんがニュージーランドに会いに来た時の写真(2002年2月ごろ)を見つけ、依存状態最中時の実情を示すほどではないが、有る程度参考になるではないかと思います。この写真は「フォトB」と名を付けて置きます(別紙参照)。
(54)
この写真(フォトB)は、ベンゾジアゼピンをやめて、約9ヶ月後(比較的に随分回復ができた時期)に撮ったものです。私の第1陳述書でも説明しましたが、「恋人のKが日本からニュージーランドに会いに来てくれた時は、X医師の内服処方を受けていた平成13年2月ころと比べて、私の体重が増え、顔色も良くなり、全く別人のように健康的に見えると笑顔で言ってくれました。」(14~15頁参照)。
(55)
フォトBが撮った時点(2002年2月ごろ)では、私の体調は既に随分回復した事実、または、その時の私は、まだまだ明らかに病人に見えた事実から考えて見ると、フォトBが撮った1年間前(依存症最中時)の私の体調は少しでもお察しがつくでしょうか。
(56)
フォトBを見て、「なるほど少し痩せたな」しか何も思わない方もいるかも知れません。しかし、もう少し注意して見てください。眼をよく見てください。まだまだ、うつろな目・のぼやっとした目つき、ぼんやりした表情をしていて、まさに気持ちもその通りでした。母は私が半分死んでいるゾンビーに見えるというのは、この意味です。さらに、今まで私は主張して来た「やつれて老いた顔」も少しでもおわかりになるでしょうか。
(57)
当時の体調をもっとわかりやすくさせるには、更に2枚の写真を用意しました。1996年初旬ごろ(依存症に罹患された約4.5年前)に撮った「フォトA」、また2009年12月ごろ(ベンゾジアゼピンをやめて、約8.5年間後)に撮った「フォトC」です。
(58)
驚くことに、フォトCでの私は、フォトBでの私より8年間年上になりましたが、8年間の年を取った私のほうが健康的そうに見え、力強く、明るく見えます。今まで主張してきた事ですが、処方期間中、1ヶ月あたり1年ぐらい老けていたようでした。また、肩の形(肩の持ち方)の違いもご注目ください。
(59)
フォトB(9ヶ月間に渡り標準的漸減療法を受け比較的に随分回復ができた時点で撮ったもの)は、X医師の治療結果を示し、フォトCは、ジャドスン医師の標準的漸減療法を受けた結果を示します。どちらの結果のほうが良いかについては、関係者各位が自分の判断で決めていいと思います。そして、患者が私ではなく、ご自分または自分が愛している人になった場合、どんな結果のほうが望ましいでしょうか。どうぞお考えください。
(60)
私の回復について、もうひとつの事を明確にさせて置きたいと思います。回復段階では、すべての症状が一斉に回復した訳ではありません。確かに、時間と共に徐々に回復に向かっていましたが、時によって激しさや頻度などが変動し症状が消えたり再燃したりしていました。もうひとつ気が付いた事ですが、月日がたつにつれて、気分が良くなる時間は少しずつ長くなろうとして行きました。例えば、初めて薬物をやめた時は、ひどく具合が悪いと常に感じていましたが、数ヶ月間後は、朝ごろ気分が良くなる時があり、そして更に日にちがたつにつれて、一日中気分が良くなる時もありました。しかしながらこのように症状回復が散発的なものであった為、何カ月も症状に悩まされていて、一番つらい時期を乗り越えるには、少なくても1年間もかかりました。
(61)
ジャドスン医師の第4意見書3.2.9事項の掲載の通り、「ベンゾジアゼピンの服用を断った後に症状から回復したことに関する唯一の例外としては、徐々に、より軽い程度にはなったものの、パニック発作に悩まされ続けました。しかしこれは、持続性離脱、依存症経験によるトラウマ、及びその後の賠償訴訟の更なるプレッシャーを含む、長期的影響を考慮して分析される必要があります。」下記のK事項(更なる証拠)参照。
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G.インフォームド・コンセント
(62)
ジャドスン医師の第4意見書4.2事項に続いて、この機会を借りてインフォームド・コンセントについて自分の意見を述べさせて頂きたいと思います。
(63)
私はインフォームド・コンセントされなく、またその結果、私は依存症で苦しめることになったので、騙された上で、生まれてから初めて自分が心身的にも侵害された事を感じました。そして、レイプされる女の気持が初めてわかるような気がします。つまり、(インフォームド)コンセント無しで自分の身体が侵害され、そして、後で、その侵害によるトラウマで苦しんでいく事です。2001年4月9日に、ウィットウェル医師を受診し、同医師がベンゾジアゼピンについて説明(インフォームド)してくれた時に、まさにその気持を味わうことになりました。
(64)
さらに、第1陳述書にも書いた事(10頁参照)ですが、X医師の最終診察の時、その後の治療の参考として、薬剤についての情報提供依頼をしましたが、完全に断れました。丁度今、気がついた事ですが、処方局のレシートには次の通り書いてあります。「他の医療機関で診療を受ける場合は、このお薬を飲んでいることを医師または薬剤師に必ず伝えてください。」
(65)
X医師はあまりプライドが高い人物なので私は治療をやめた時に傷がつけられた為、非協力的行動を取ったのではないかと思います。
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H.相手側への挑戦
(66)
自律神経失調状であったとしても、私はベンゾジアゼピン依存症であった事実が変わらないとジャドスン医師は確認しているのに、相手側が「自律神経失調状」という反論を使ってベンゾジアゼピン依存症および損害賠償に対する責任を回避しようとしている事が明らかです。
(67)
自律神経失調状に悩まされている人の場合、ストレスによる負担が増加するにつれて、症状も共に増加するのは普通でしょう。
(68)
今現在の状況(損害賠償請求の件また最近の上訴による手続き)により、私の負っている負担は以前と比べて遥かに大きくなっているものです。これと同時に、2008年9月ごろ以来、再び日本での仕事にも取り組み自分の国とは違った環境で生活をしています。
(69)
もし私は、M医師と相手側が仮定した自律神経失調状の体質であって、またそれによって異文化および環境の違いや日頃のストレスにより体調が崩しやすい体質であれば、上記(68)事項の理由により、今現在の私の体調は、2000年~2001年頃よりも悪くなって筈です。
(70)
しかし、実際にそうではありません。寧ろ、今現在の私の体調は2000年~2001年頃より比較ならないほど良くなっています。
(71)
さらに、ジャドスン医師の第1意見書1.4.6~8事項に掲載された症状に悩まされず、2008年9月ごろ、原告尋問の時以来、通院してこれらの症状を訴えた事はありません。この事実により、2000年~2001年頃の私の不調は、自律神経失調状ではなく、ベンゾジアゼピン依存症によるものであった事実が一層明らかになる筈です。
(72)
また、X医師は、中脳水道周辺症候群という診断を維持しているようです。しかし、他の専門神経科医(日本とニュージーランドの専門医を含め)は同意せず、私も全く納得いかないのです。
(73)
上記を踏まえてこの機会を借りて、下記の通り相手側に挑戦したいと思います。
代表弁護士A先生が一緒に出席するという条件で、裁判指定病院で、自律神経失調状または、中脳水道周辺症候群の検査受けることを厭わないです。
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I.ジャドスン臨床部長(薬物依存療法科)及びアシュトン教授の信頼性
(74)
ジャドスン医師による意見書については、相手側からは疑問視されているようですので、本件関係者各位に下記の事実をご配慮して頂きたいと思います。
- ベンゾジアゼピン依存症最中、当初の依存症診断をしたのは、ジャドスン医師(本人)
- ジャドスン医師は、依存性薬物専門医である
- ジャドスン医師は、精神保健及び薬物依存療法科の院長という位を有する
- ジャドスン医師は、ベンゾジアゼピン依存症について専門知識を持つ
- ジャドスン医師は、本件における詳細について、非常に精通している
- ジャドスン第1乃至第4意見書は、証拠(各カルテ等)に基づいている
- ジャドスン第1乃至第4意見書は、DSM-IV-TR診断基準に基づいている
- ジャドスン第1乃至第4意見書は、ベンゾジアゼピン依存症についてのWorld’s Number One Leading Expert on Benzodiazepinesであるアシュトン教授による専門的意見や文献を含めています。
注:アシュトン教授のベンゾジアゼピン依存症に対する専門知識を確認する為に、下記のウェブサイトで同教授のプロフィルをご覧ください。
http://www.benzo.org.uk/index.htm
“Curriculum Vitae”というキーワードでサイト検索をすれば見付けます。
(75)
また、ジャドスン医師は、当方の見方(bias)をしているという疑問も相手側が持っているのではないかと思いますので、これに対して本件関係者各位に、下記の通り、同医師の第3意見書2.2.2事項の記載をご配慮して頂きたいと思います。
2.1.1
ウェインの手書きの記録(証拠 甲 A26)によるとこの筋肉の硬化は彼の顎の顕著な圧迫を伴い、そのため、約4~6週間のベンゾジアゼピンの処方の後に彼は口を適切に閉じることができないようになった。
またこのリストには“関節の痛み”が含まれていた。これはニュージーランドに帰国後、ウェインがこのタラナキ病院の歯科にて顎関節症、つまりTMDと診断された事実により裏付けられる。
原注:2008年12月19日付のA氏と当職の間での質疑応答の書類において、当職は筋肉の硬化を含むウェインのいくつかの症状についての更なる意見を述べることはできないと伝えた。これはその時点でより客観的な決断をするには更なる情報が必要であったためである。しかし現時点では直接患者のカルテ情報を検証する機会があり、それを考慮して、筋肉の硬化は離脱と合致しているということを確認できる。
注:上記の翻訳会社によるミスがある事もわかります。実は、約4~6週間ではなく、
4~6ヶ月間でした。翻訳のミスについてL事項(翻訳文)参照。
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J.本件の重要性
(76)
関係者各位は、ご存じの通り、本件(X医師と私の間の紛争)は既に4年間に渡り続いています。しかし、本件については、X医師と私の間の紛争という単なる問題より、もっと大きな問題が潜んでいる事実を理解する必要があります。
(77)
自分の実際な経験また文献(主にアシュトン教授作成のもの)により、労働能力、家庭問題、人間関係、健康状態などを含めベンゾジアゼピン投薬および依存症は、大変大きな被害を齎すことができます。また、苦しむのは、依存症に罹患している本人のみならず、家族全員、職場の同僚、そしてその他の周りの人にも影響を及びます。そしてさらに、こういった事件が多くなればなるほど全社会にも影響を及びます。経済社会上の損害については、アシュトン教授が下記の事を踏まえています。
- Increased risk of accidents - traffic, home, work.
事件の危険因子の増加(交通事故、職場および家庭内における事件)
- Increased risk of fatality from overdose if combined with other drugs.
過剰摂取による死の危険因子の増加(他の薬と餅用する場合)
- Increased risk of attempted suicide, especially in depression.
自殺行為の危険因子の増加(特に抑鬱の場合)
- Increased risk of aggressive behaviour and assault.
暴行および攻撃行動の危険因子の増加
- Increased risk of shoplifting and other antisocial acts.
窃盗またその他の反社会的な行為の危険因子の増加
- Contributions to marital/domestic disharmony and breakdown due to emotional and cognitive impairment.
情緒不安定状態および認知行動・機能障害による夫婦間葛藤や家庭内の問題の要因
- Contributions to job loss, unemployment, loss of work through illness.
病気による退職、失業、解雇の要因
- Cost of hospital investigations/consultations/admissions.
入院、診察費、検査代などの費用
- Adverse effects in pregnancy and in the new-born.
妊娠中の母親、また生まれた赤ちゃんへの有害な作用・悪影響
- Dependence and abuse potential (therapeutic and recreational).
依存症および薬物乱用の可能性(臨床用レベル又は娯楽使用レベルにて)
- Costs of drug prescriptions.
処方薬費用
- Costs of litigation.
損害賠償請求における費用
(Benzodiazepines: How They Work and How to Withdraw, 第一章参照)。
(78)
今の時点で、私はベンゾジアゼピン依存症であった事実、またベンゾジアゼピンの危険性について明確させる為に、自分ができる事の全てを遣り尽くしてきました。しかし、私以外にも、多くの社会人がベンゾジアゼピン依存症に悩まされているに違いなく、私の場合よりもっと苦しんでいる人もいるでしょう。
(79)
医師はいつも本件のように、ベンゾジアゼピン依存症の患者の訴えを神経症などとして受け流して、ただの神経質・神経症などだと言い繕っていくと、多くの人々にとって深刻な問題を齎して、これは全社会への重大な含みも持っていると思われます。
(80)
これから他の人々もベンゾジアゼピン薬の危険性に曝されないとは言えないでしょう。特に本件を含め、ベンゾジアゼピン依存症による事件はいつも認められずに済まされていけば何も変わりはなく、これからも依存症に悩まされている人は増えていきます。それを踏まえて、この機会を借りて、関係者各位にお願いしたいですが、この件の重要性を軽視せず真剣にご検討ください。今度は自分の身近にいる人がベンゾジアゼピン依存症に悩まされてしまうかも知れません。
(81)
最初に、訴訟をしようと思った理由ですが、専門医(X医師)による治療を受けて、結果的に私のような状態に陥るのは、根本的に違うからです。そして、私が処方薬による依存症になれたら他の人もなれると思って、関係者各位にこの事件について知らせる必要があると実感しました。
(82)
本件は大変複雑である事を理解し、特にベンゾジアゼピン依存は、薬剤が本来治療するはずであった症状(自律神経失調状)と非常に似た症状を発現する観点から考えて見ると相当難しいでしょう。
(83)
その結果、本件は英語の諺の通り“cannot see the woods for the trees”(木を見て森を見ず)という状況で終わってしまう恐れがあるではないかと思います。
(84)
ジャドスン医師とA弁護士の協力で、当方は、証拠に基づいて一生懸命に事実を提供してきました。この事実の一環としては、以前の私の健康は概ね良好であった事、またX医師による薬剤療法の開始前、職責の軽い仕事とはいえ、日本でなお勤務し続けることができたにも関わらず、薬剤療法中は、雇用契約(3月31日まで)を満たそうとしましたが、最後の1週間さえ働くことができないほど体調はあまり酷くなって、3月25日を持って、1週間早く帰国せざるを得なく、契約解除後、ついには、1年以上もの間、再就職することができなくなるという状態に至った事(ジャドスン医師第4意見書2.3.9事項参照)。今現在の私は、日本での生活と仕事に復帰することができ、現在継続中の賠償訴訟による更なるストレスの下にいるも関わらず、以前よりずっと良い健康状態を維持し続けている事。
(85)
上記の事実に加えて、全体的臨床像、DSM-IV-TRの適用を別にしても、処方期間および投薬量のみにより依存症を形成した可能性は50~100%になると断定することができます(ジャドスン医師第3意見書1.3.2事項参照)。そして、この50~100%の可能性に全体的臨床像およびDSM-IV-TRの基準該当等を更に付け加えると、合理的疑いが及ばない証明になり、私は依存症に罹患していた事実は一目瞭然になると確信しています。
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K.更なる証拠
(86)
東京地方裁判所の判決書(58頁)によりますと、当方の損害賠償請求における後遺症については、後遺症の診断されていないという理由で認められませんでした。これについて、ジャドスン医師は、第3意見書3.5事項にて、次の通り、意見を述べました。「長期的影響/被害に関して、当職の理解によれば、ウェインの薬物離脱治療歴後の長期的影響における議論がある。それに続き、ウェインの件におけるベンゾジアゼピン服用の長期的影響についての報告書を喜んで提出する意思がある。」
(87)
ご存じの通り、当方は下記の書面を既に提出済み。
- 第3意見書 (STRC病院、Sクリニック、Oセンターの各カルテに基づいた日本の物)
- 第4意見書 (テーハー医師、ウィットウェル医師、ジャドスン医師の各カルテに基づいたニュージーランドの物)
今回は、下記の意見書を用意させて頂きたいと思います。
- 第5意見書 (SWRC病院各カルテに基づいた事件後日本の物)
(88)
そうしますと、上記の1,2,3の意見書をセットとして、提出する事により、ベンゾジアゼピン依存症(私の場合)の全面像を完成させることができます。
(89)
また、これについて、ジャドスン医師は次の通り(第3意見書3.5.4事項参照)意見を述べました。「証人尋問の可能性がある日時の前に、第3~4意見書と同様に、長期的影響についての報告書も提出することが望ましいと考える。これにより、可能な限り最も正確な情報を提供するために証拠に基づく全事実を把握する時間を見込むことができる。それにより全関係者が事前に根拠を考察することができ、また、あらゆる質問を用意することが可能となり、当職は喜んでそれらの質問に返答をする意思がある。」
「また、これらの報告書を作成するには時間がかかることを理解していただきたい。当職は病院にての職務があり、また、ウェインと彼の弁護士との間で、2つの異なる言語での情報伝達の必要があることを理解していただきたい。」
(90)
上記の必要時間については、ジャドスン医師に改めて相談をしましたところ、同医師はこれからの数ヶ月間、病院の仕事で多忙になりますが、年末休みの間、時間を作って、第5意見書(後遺症についての意見)を用意できるということでした。
注:この第5意見書を前提としたSWRC病院のカルテの英訳については、既に翻訳会社に翻訳依頼済みであり、準備が進めています。
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L.翻訳文
(91)
残念ながら、翻訳会社による翻訳文には、翻訳のミスが多発しています。75事項のミスはただ一つの例だけになります。しかも、多くの表現は英文の原本の本来的な表現とは違う為、意見書の質を低下させている恐れがあります。本件の場合、2つの異なる言語での情報伝達の必要がありますが、他の仕事でも多忙になるA弁護士も私自身も翻訳文をチェックする余地はなく、いつもの裁判のデッドラインに間に合わせるだけで精一杯です。これにより、やむを得ない状況ですが、何かおかしいなと思うところがある場合は、英文の原本を再確認して頂ければ幸いです。
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最後に
(92)
上訴手続き・必要準備等は、被害者である私にとって、更に大きな負担を齎し、特に時間の損また翻訳費用(約100万円)については非常に大変です。
(93)
本件については、私が知ることを包み隠さず、ありのままに陳述してきた事を改めて伝えて置きたいと思います。できるだけ全ての事実を証拠に基づいて提供する事に努めてきましたが、裁判側がどこまで信用するかは、私はもうどうすることもできません。
(94)
前記の通り、現時点で、私はベンゾジアゼピン依存症であった事実、またベンゾジアゼピンの危険性について明確させる為に、自分ができる事の全てを遣り尽くして来ました。本件を含め、ベンゾジアゼピン依存症による事件はいつも認められずに済まされていけばいくほど社会における処方薬依存という問題が広がっていきます。以上私のできる事をやりましたが、証拠に基づいた公正な裁きをお願いします。
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このサイトの主要言語は英語です。
その翻訳は私自身を含む複数の人によって手がけられました。
私の母国語は日本語ではありませんので何卒ご理解いただきたくお
「もし何かの薬を飲み続け、それが長い長い災難をもたらし、あなたからアイデンティティをまさに奪い去ろうとしているのなら、その薬はベンゾジアゼピンに違いない。」
ジョン・マースデン医師
ロンドン大学精神医学研究所
2007年11月1日
「我々の社会において、ベンゾは他の何よりも、苦痛を増し、より不幸にし、より多くの損害をもたらす。」
フィリップ・ウーラス下院議員
英国下院副議長
オールダムクロニクルOldham Chronicle (2004年2月12日)
「ベンゾジアゼピン系薬剤はおそらく、これまでで最も中毒性の高い薬物であろう。これらの薬を大量に処方してきた途方もなく大勢の熱狂的な医師達が、世界最大の薬物中毒問題を引き起こしてきたのだ。」
薬という神話 (1992)
「薬があれば、製薬会社はそれを使える病気を見つける。」
ジェレミー・ローランス (ジャーナリスト)
インディペンデント紙 (2002年4月17日)
「製薬会社に対して、彼らの製造する薬について公正な評価を期待することは、ビール会社にアルコール依存に関する教えを期待するのと同じようなものである。」
マーシャ・エンジェル医師
医学専門誌"New England Journal of Medicine"元編集長
「ベンゾジアゼピンから離脱させることは、ヘロインから離脱させるよりも困難である。」
マルコム・レイダー教授
ロンドン大学精神医学研究所
BBC Radio 4, Face The Facts
1999年3月16日
「長期服用者のうち15%の人たちに、離脱症状が数ヶ月あるいは数年持続することがある。中には、慢性使用の結果、長期に及ぶ障害が引き起こされる場合もあり、これは永続的な障害である可能性がある。」
ヘザー・アシュトン教授
医学博士、名誉教授
Good Housekeeping (2003年)
「クロノピン(クロナゼパム)とは恐ろしい、危険なドラッグだ。」
この気の毒な問題に取り組む全ての関係者は、トランキライザー被害者の為に正義を提供するよう努めるべきである。
「'benzo.org.uk'というサイトは実に素晴らしい。」
マーシン・スライズ
ロシュ社ポーランド 製品マネージャー
スティーヴィー・ニックス: “嘘をついて”(Little Lies)
医師: ベンゾジアゼピンを飲めば気分が落ち着くから、もうコカインに戻ることもないよ。
歌手のスティーヴィー・ニックスは自身のベンゾジアゼピン処方薬離脱経験を「“地獄”のようでコカインやヘロインからの離脱よりも質が悪かった」と表現しながら、クロノピン(リボトリール)の危険性を訴えています。
「クロノピンは私をゾンビにした」(スティーヴィー・ニックス, US Weekly, 2001)
このセクションでは、私が闘った日本の裁判についてお話します。特にそこで現れた、明らかに不当な処置と思われる事例のかずかずを紹介します。これらの事例をわかりやすくお伝えするために、「東京高等裁判所の判決」と「中毒治療科の報告書」への参照箇所(リンク)がいくつか出てくるので是非ご参考ください。また、「中毒治療科報告書」は、一貫して、法的証拠およびDSM-IV-TRの依存症診断基準に基づいて書かれていることにもご留意ください。
臨床用量のベンゾでは中毒にならないと思っていませんか?
考え直しましょう!
“もしベンゾジアゼピンが定期的に2~4週間以上にわたり服用されるならば、耐性と依存が生じる可能性がある。最小投与量はなく、例えば耐性と依存は2.5mg~5mgのジアゼピンの定期的な服用後に見られたこともある。”
ヘザー・アシュトン教授(英国、ニューカッスル・アポン・タイン大学名誉教授、臨床精神薬理学)。
When do you suppose my condition was at its worst?
- When I was experiencing moderate levels of work related stress?
- When I was working a high pressure job and involved in a rigorous court battle in another country and language against a world famous doctor, the hospital, and the teams of lawyers and entire networks that no doubt sat behind them?
The answer is A.
Why?
Because at the time of situation (B) above, I wasn’t being mislead by a doctor feeding me a cocktail of highly addictive prescription drugs.
Instead I was employing the use of practical (non-drug) stress management techniques learnt in New Zealand before I returned to proceed with litigation in Japan.
Same principles applied to coping with the affects of the 3-11 disaster...
Throughout this entire ordeal, I came to realize the importance of “Balance”.
As pressing as the court deadlines were and as demanding as the case was, without maintaining a balance in life including rest, recreation, work, socializing, diet, sleep etc. it would have been impossible to sustain.
However, it was always a razor edge fine line between making progress and maintaining health and balance.
Subsequently, it took a lot of skill and adapting.
私はもともと、ベンゾジアゼピン処方による被害にあい、その上に東日本大震災にもあいました。震災にあった時に心配になったことは、トラウマに悩まされている被災地の多くの人たちが、ベンゾジアゼピンの処方をたくさん受けているのではないかということでした(今も心配しています)。
大震災の最中に、私はちょうど最高裁への上告理由書を書いていたところでした。せっかくでしたので、その機会を借りて、警鐘を鳴らそうと思い、下記の文を補記しました…
Seems people are all saying the same things over and over…
- I was like a zombie
- It felt like I was in hell
- It was much harder to come off benzodiazepines than anything else I'd ever had before
- It took a chunk of my life away
- It has destroyed my life
- The doctor never told me they were addictive / The doctor told me they weren’t addictive
- When I complained my condition was worsening the doctor prescribed me more...
裁判という究極のストレスに悩まされるチャレンジにおいて、私はいつもラグビーNZ代表のオールブラックス、とりわけキャプテンのリッチー・マコウ(Richie McCaw)からインスピレーションを得て、それを活かしていました。
状況がどんなに厳しくなろうと、どんなに不当に扱われようと、彼らが不平を言うことは決してなく、ただただ前進していくのです。
素晴らしい!
Each one of us has a different experience of withdrawal.
The duration and degree of intensity can vary depending on the individual and there are many reasons for this.
Ever wonder why the diazepam conversion rates differ from source to source?
中毒性薬剤専門医のジャドスン医師は次のように説明します。
「ジアゼパム換算量を計算するために用いられる換算率は情報源によって異なる傾向がある。これは“換算”用量に対する臨床反応の個人差がさまざまであるためで、あるベンゾジアゼピンからその他に換算する際、代替の薬剤に対する患者の反応の注意深いモニタリングが必要である。」
In my case, “confusion” appeared to be the main tactic of choice employed by the defense.
Enter the term “Autonomic Nervous Disorder” (The Perfect Smokescreen).
There were many challenges in my case.
These included fighting a world famous doctor in another country and language, acting as go-between for a harsh natured Japanese speaking lawyer and a sensitive natured English speaking doctor, making my Supreme Court Appeal whilst evacuating from Fukushima etc during the 3/11 disaster etc…
What are benzos for again?
The only time I’ve ever needed to visit a psychologist in my life was AFTER (wrongfully) being prescribed benzodiazepines…
The DSM-IV-TR diagnostic criteria for dependency proved to be a valuable tool in my case because it helped guide the arguments into place.
Initially the defense appeared to be dodging issues which resulted in both parties arguing on different planes.
However, once Addictive Medicine Specialist, Dr. Graeme Judson had introduced the application of the DSM-IV-TR criteria into the equation, it helped to define the arguments for litigation effectively preventing the defense from dodging issues.
(注:DSMをめぐっては議論があり、医師は彼らにとって有利なようにこれらの診断基準を使うこともあり得ます。だから、私の裁判でも弁護士と十分に協議しました。)
「ベンゾジアゼピンを飲むと災難がやって来る。」
アンドルー・バーン医師
オーストラリア, NSW, レッドファーン
ベンゾジアゼピン依存 (1997)
I went from being barely able to walk when I was on benzodiazepines to being able to squat 180kgs following abstinence and rehabilitation.
You may be interested to see the notes on corrections of Japanese translation errors, which were contained in the dependency medical report translations, together with explanations of the nature of these errors, and consider their potential implications on the case.
This is very interesting!