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「めまいの権威」の処方で強烈な離脱症状に
続いてウェィン・ダグラスさんの体験を紹介しょう。日本文化に興味を持ち、1992年に25歳で初来日したダグラスさんは、以後、九州、中部、東北など日本各地の自治体で働き、国際交流コーディネーターや英語講師などを務めてきた。
埼玉県国際交流協会に勤務していた2000年5月、突然のめまいに襲われた。「目の前のものすべてがぐるぐる回転しているようだった」という。病院で検査を受けたが症状は頻発し、吐き気なども起こった。仕事はなんとか続けたが、集中できる状態ではなかった。
1ヵ月後、テレビで「めまい治療の権威」と紹介された医師の診察を受けた。「シルビウス水道症候群」と診断され、「薬を使って体質を構造的に変える必要がある」と言われた。
指定された調剤薬局(医療機関は調剤薬局を指定してはいけないのだが)に行くと、3種類のベンゾ系薬剤(リボトリール、コントール、グランダキシン)が1袋に入ったものを手渡された。このクリニックがいつも同じ処方を行うので、薬局が特別に用意している「ベンゾパック」だった。さらに三環系抗うつ薬トフラニールと、脳血流改善などの目的で使われるケタスも処方された。
ダグラスさんは、これらの薬の副作用について医師に質問したが「少量では依存性はなく、副作用もほとんどありません。長期間飲んでも大文夫です」と説明された。
先ほど、ベンゾ系薬剤の不適切投薬の多くは精神科で行われている、という調査結果を紹介したが、ほかの診療科は問題ない、ということではない。潜在化している多くの常用量依存患者を調査対象とすれば、一般診療科の処方割合が増えることは間違いない。特にデパス(チエノジアゼピン系)などは一般診療科で大量に処方されている。
ダグラスさんは服薬を初めて問もなく、症状が落ち着いたため、薬の効果を確信して飲み続けた。ところが2ヵ月後、再び体調が悪化してしまった。その症状は5月の初発時よりも重くなっていた。
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発症前にはなかったパニック発作を併発
10月頃には、一日中、酔っぱらったように足元がふらつき、服薬前にはなかったパニック発作やイライラなど情緒面の障害も起こってきた。
医師を信用できなくなり、11月に断薬を試みた。すると、激しい恐怖や不安に突然襲われるパニック発作がさらに頻繁になり、その他の症状も急に激しくなった。服薬を再開するしかなかった。だが、薬を飲んでもパニック発作がたびたび起こるようになり、仕事ができなくなった。自殺が頭をよぎるようになった。
2001年3月、ダグラスさんは憔悴しきった状態でニュージーランドに帰国した。空港に迎えに来た母親が、ダグラスさんのあまりの変わりように自分の息子とすぐには気付かないほどだった。
薬物依存症の専門治療施設でベンブジアゼピン依存症と診断され、通院しながら減薬治療を受けた。2ヵ月ほどで断薬に至ったが、離脱症状との戦いは続いた。慢性的な不安や抑うつ、パニック発作などが軽減し、医師が復職許可を出したのは1年後だった。
「バニック発作は断薬から数年間続きました。薬のために多くのものを失ってしまった」とダグラスさんは悔む。
日本で受けた診療に不信感を募らせ、シルビウス水道症候群について調べ始めた。ニュージーランドの複数の専門医に当時の症状を伝えて意見を聞くと「シルビウス水道症候群診断ではなく、ではなく、前庭神経炎の蓋然性が極めて高い」と指摘された。
「真実を明らかにしなければならない」。そう考えて2005年に日本に一戻ったダグラスさんは、大学病院の神経内科など3ヵ所の医療機関を回り、やはり「前庭神経炎」との見解を得た。さらにニュージーランドと日本の医師たちは、どちらの病気であつたとしても「治療でベンブジアゼピンを使うことはない」と口を揃えた。
2006年、ダグラスさんはベンゾを処方した医師と、勤務先の医療機関に損害賠償を求める調停手続きを行った。だが不調に終わり、2007年、東京地裁に提訴した。
医師側は、ダグラスさんのベンブジアゼピン依存症を否定し、もともとあった自律神経失調症だと主張した。治療中に依存症に陥ったのであれば、耐性が生じて薬が次第に増えるはずだとし、投薬量が一定だったことを依存症ではない根拠とした。
これに対し、意見書を書いたニュージーランドの依存症治療施設の医師は、ダグラスさんが耐性離脱(薬を飲んでいても耐性による効果の低下で表れる離脱症状)に陥っていたと指摘し、依存症だったことは明白とした。だが、こうした意見は受け入れられず、ダグラスさんは東京地裁で敗訴し、2011年、東京高裁でも請求が棄却された。
東京高裁は常用量依存について「我が国の医学的知見として確立していたものと認めることはできない」と判断した。ダグラスさんが投薬を受けた2000年には、すでに常用量依存は国際的に認知されていたのだが、ここでもまた日本の特異性が医師を救う結果となった。
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専門医が作るべきマニュアル訳を患者が作る!?
訴訟では負けたが「真実」を求めるダグラスさんの信念は揺るがなかった。ニュージーランドに一戻らず、英語講師のアルバイトなどで細々と暮らし、日本の患者のために田中さんと組んで「アシュトンマニュアル」日本語版を完成させた。
これまでの体験やアシュトンさんら専門家の意見を英語と日本語で詳細に記したサイトの制作や、体験談をまとめた書籍の執筆も行っている。
ダグラスさんは語る。「裁判所は医師や医療業界を守ることを優先し、社会を守る責任を放棄してしまいました。状況を変えるには、正しい情報を社会に発信し続けるしかない」
本来は日本の医師たちがやるべき仕事を、被害者である田中さんとダグラスさんはやり遂げた。2人は、「アシュトンマニュアル」日本語版のあとがき「翻訳を終えて」に共通の思いをつづった。
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アシュトンマニュアル
2012年8月、ベンブジアゼピン依存症から脱するための手引書として、世界中で使われている「アシュトンマニュアル」の日本語版が完成し、インターネットで公開された。
処方薬依存症治療の世界的権威として知られる英国ニューカッスル大学名誉教授のヘザー・アシュトンさんが、ベンブジアゼピン離脱クリニックでの経験をもとに作用、副作用、離脱症状、減薬法などをまとめたもので、日本語版の完成により計11言語で無料閲覧できるようになった。
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日本語版を作ったのは漫然処方の被害者
「アシユトンマニュアル」は、アシユトンさんが1999年に執筆し、改訂を重ねながらインターネットで無料公開を続けてきた。最初は英語版だけだったが、様々な国の患者から要望が相次ぎ、翻訳版が増えていった。日本でも以前からこれを活用して断薬に成功する人はいたが、日本語版がないためハードルが高かった。
そこで翻訳に名乗りを上げたのが、近畿地方に住む田中涼さんと、ニュージーランド人で翻訳家兼英語講師のウェイン・ダグラスさんだった。二人とも日本でベンブジアゼピン系薬剤の長期投薬を受け、ひどい離脱症状や医師の無理解に苦しんだ経験がある。アシュトンさんら海外の専門家と緊密に連絡を取って翻訳を進め、日本語表記の医学監修は『正しい治療と薬の情報』誌編集長の別府宏囲さん(神経内科医)らが行った。すべて無報酬のボランテイア作業だった。
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世界中から届く感謝の声
アシュトンさんにもご登場いただこう。田中さんとダグラスさんのお力を借りて、2012年8月、アシュトンさんに私の質問に答えていただいた。「アシュトンマニュアル」と合わせて参考にしていただきたい。
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公開後1週間で約1万件のダウンロード
「アシュトンマニュアル」日本語版は、公開後1週間でダウンロード数が約1万件にのぼった。マニュアルを印刷し、精神科などに持参する患者が目立つようになった。こうした状況に危機感といら立ちを募らせた精神科医が「そんなものは見るな」「そういうのは困るんだよ」と患者をしかりつける事例が早速発生した。「『アシュトンマニュアル』を教条化している」と患者批判を展開する精神科医も現れてきた。
だが、患者たちが「アシュトンマニュアル」に頼らぎるを得ない状況を作ったのは誰なのか。患者を薬物依存の激流でおばれさせ、助け舟も出さず、見て見ぬふりをしてきたのは誰なのか。流されていく患者にとって、「アシュトンマニュアル」はやっと投げ込まれた小さな浮輪だった。必死にしがみつくのは当然ではないか。
受診者の中には、思い込みで被害を訴える人もいるだろう。元の症状の再燃を離脱症状と誤解する人もいるだろう。だが、初診時に副作用の説明をきちんとして、処方期間を考慮していれば、思い込み患者の過剰な訴えに振り回されることはなかったはずだ。精神科医らの誠意ある対応を求めたい。
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国際麻薬統制委員会2010年報告書によると、日本におけるベンゾジアゼピン系“抗不安薬(anxiolytic)”の平均消費量は、欧州各国の多くよりも少ないものの、アジアの中ではイランに次いで最も多い(35頁、Figure 20参照)。
一方、日本のベンゾジアゼピン系“催眠鎮静薬(sedative-hypnotic)”の平均消費量は、ベルギーを除くと世界のどの国よりも多い(39頁、Figure 26参照)。
アシュトンマニュアル:世界的な専門家、ヘザー・アシュトン教授によって書かれた、ベンゾジアゼピン系薬剤と離脱法についての解説書。
このマニュアル内で示された離脱スケジュールは単に“一般的な指針”を示すために作成されたものであることを、あなたの処方医に伝えることが大切です。離脱の経験は人それぞれで、同じものがない。離脱の経過は多くのファクター(要因)に影響されるからです。