第三章
3.鑑別診断(ニュージーランドの患者カルテ情報に基づく追加情報)
3.1 テハール医師のカルテ-症状歴(1989年3月9日~1996年6月18日)
3.1.1
下記は、テハール医師のもとでのウェインの病歴の訴えのリストであり、これは彼のベンゾジアゼピン依存症に伴う特定の症状を除外するために用いられる可能性があるものである。続いて、当職はこの機会に、これらの以前の症状と2000~2001年の依存症状を識別しておきたいと思う。
3.1.2
(1頁:腰痛)
ウェインは1989年3月に重い材木を持ち上げてからぎっくり腰になって以来、時折の腰痛の前病歴があることを、当職らは承知している(第三報告書、項目3.3.17で論じられた)。
ウェインに2000~2001年の薬物治療中に生じた“筋肉の硬化”は彼の以前の“腰痛”の症状に起因していたとの議論も可能であろう。
第三報告書で言及したように、依存症に伴う“筋肉の硬化”は局所的または、ある部位に限定されたものではなく、むしろ、彼の身体全体に広がった。この身体全体の“筋肉の硬化”は、ウェインがこの症状を緩和するために2000年11月(ベンゾジアゼピン服用開始後の4~6カ月の時点)より地元の埼玉にある理学療法診療所にて定期的な全身ディープティッシュマッサージの治療を開始した事実により立証される。原注:当職は、理学療法診療所が、この筋肉の硬化とその結果施した全身マッサージ治療を説明する書簡をウェインに提供したとの報告を受けている。
(1頁:左肩の痛み)
3.1.3
ウェインは、1985年の運動中の事故の後、ぶり返す左肩の脱臼に悩まされていた。これは、1991年にティム・アストリー整形外科医によるその後の手術から回復するまで不快感を与え続けた。
ウェインに2000~2001年の薬物治療中に生じた更なる“肩こり”(第三報告書、項目2.1.3/甲A12号証)は、彼の以前の脱臼とその後の手術に起因していたとの議論も可能であろう。
しかし、上記に伴う痛みは、1999年にウェインが日本に渡航する以前に強化運動や理学療法にて自然に治った。これはテハール医師の患者カルテ情報4頁の、“肩修復手術は好結果”という記入により立証される。更に、肩の脱臼に伴う痛みは左側のみに限定されていた。しかし依存症に伴う“筋肉の硬化”は、両肩付近だけではなく、上記で説明したように、身体全体に広がった。
3.1.4
上記の病歴からわかるように、ウェインの以前の訴えの多くは、異なる状況、異なる時期における単独の個々の症例として生じており、その他の症状群に付随したものではなかった。
一方で、依存症状は全て、同じ状況、同時期に、その他の依存と合致する症状に付随して起こったものであった。更に、ウェインの依存症に伴う全ての症状は、離脱経過中再び増大し、その後、薬剤の服用を断った後に改善した。
3.1.5
上記を、全体的臨床像の中(第一報告書、項目2.2)で、及びウェインがDSM-IV-TRの5つの基準を同じ12カ月の期間内に充足していた事実に照らし合わせて考究すると、2000~2001年の彼の状態はウェインの前病歴が要因で生じたものではなく、むしろベンゾジアゼピン依存症により起こったものであったということが明らかである。
原注:ウェインは1989年3月9日~1996年6月18日まで、バリー・テハール医師の定期的な患者であった。彼はその後、1996年7月に、広報の仕事を引き受けて日本に渡航した。そして、1998年8月に帰国した後、彼はワイタラに移転、それから1998年9月4日よりウィットウェル医師の定期的な患者となった(下記参照)。
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3.2 ウィットウェル医師のカルテ-症状歴(1998年9月4日~2002年5月1日)
3.2.1
下記は、ウィットウェル医師のもとでのウェインの病歴の訴えのリストであり、これは彼のベンゾジアゼピン依存症に伴う特定の症状を除外するために用いられる可能性があるものである。続いて、当職はこの機会にこれらを識別しておきたいと思う。
(3頁:長期に渡る軽度の頸部凝りの病歴)
3.2.2
ウェインによると、1997年後半に最初に発現した、宮崎県地方自治体にて悪い姿勢のままノート型パソコンで長期にわたりデスクワークをしていた時に起こった時折の頸部痛の前病歴があったことを、当職らは承知している。(第三報告書、項目3.3.17で論じられた)。原注:上記のテハール医師の患者カルテ情報によると、ウェインは1997年以前には頸部痛の病歴はなかった。
ウェインが2000~2001年の薬物治療中に経験した“筋肉の硬化”は“長期に渡る軽度の頸部凝りの病歴(3年間)”に起因していたとの議論も可能であろう。
しかし、やはり、依存症に伴う“筋肉の硬化”は局所的または、ある部位に限定されたものではなく、むしろ、彼の身体全体に広がり、彼の顎が動かなくなる程悪化した。
(3頁:肩甲骨間の痛み)
3.2.3
1998年9月4日にウェインはまた、“肩甲骨間の痛み(首まで至る)”を訴えた。
ウェインが2000~2001年の薬物治療中に経験した“筋肉の硬化”は“肩甲骨間の痛み”に起因していたとの議論も可能であろう。
しかし、これは以前の筋肉の訴えのように局所的であったことに対して、依存症に伴う“筋肉の硬化”は彼の体全体に広がった。更にウェインは、“肩甲骨間の痛み”の症状は断続的な性質で激しい運動のみにより惹き起こされたと報告し、これはウィットウェル医師の患者カルテ情報にある、“ジムでウェートトレーニング”という記録により支持される。
(3頁:長期に渡る軽度の腰痛の病歴)
3.2.4
これについての議論は上記の項目3.1.2を参照。
(3頁:長期に渡る不安抑うつ問題)
3.2.5
2001年3月29日に、“長期に渡る不安抑うつ問題”という記入があり、ウェインの不安症状は潜在的な不安状態により起こったものであることを示唆する可能性もある。また、ウィットウェル医師の患者カルテ情報の全体にわたり、不安症と抑うつ症状に関するいくつかの記録が見られる。
3.2.6
ウェインが不安症状を患っていたことには同意するが、2000年4月に彼が当科に来院した際に訴えた症状の殆どは、ベンゾジアゼピン依存症により起こった、または悪化したと考えられ、潜在的な不安状態によるものではなかった可能性が大きい。この理由は下記の通りである。
- 10年に及ぶウェインの前病歴には、(ウィットウェル医師のカルテを含む)、精神的な症状の病歴は何もなく(いかなる不安症の問題も含めて)、または、入手可能な彼の医療記録には、1999年に日本へ渡航する以前の神経学的な訴えはなかった。
- ベンゾジアゼピンは単純なストレスによる症状の悪化、及び治療途中のパニック発作などを惹き起こすこともあり、これは文献で明確に実証されている(第三報告書、項目3.3.15)。
- 治療途中に、ウェインの状態が、仕事ができなくなるまで悪化した事実。
- 彼のその他の依存症状のように、不安症と抑うつ様の症状は標準的漸減療法中に再び激しくなり、また、彼のその他の依存症状のように、不安症と抑うつ様の症状は、彼の標準的漸減療法の初期離脱段階の終了後に、ベンゾジアゼピン処方がない状態で、改善し続けた。しかし、多くの症状が数カ月に渡り一進一退し、これは遷延性離脱症状と合致する。
- ウェインは、その後、日本での生活と仕事に復帰することができ、現在継続中の賠償訴訟による更なるストレスの下にいるも関わらず、以前よりずっと良い健康状態を維持し続けている。
(調査結果)
3.2.7
2000~2001年の間に、ウェインに不安症と抑うつの症状が生じたことに関しては疑問の余地がない。唯一の疑問は:どの程度これらの症状(不安症/抑うつ)は患者が関係していたものであったか、及び、どの程度それらがベンゾジアゼピン依存症により起こったものであったか、ということである。
3.2.8
先に言及された理由と第三報告書、項目3.3.12で述べた理由に基づき、ウェインの当科に来院の際の不安症様の症状の殆どはベンゾジアゼピン依存症により起こった蓋然性は、極めて高い。
3.2.9
ウェインがベンゾジアゼピンの服用を断った後にこれらの症状から回復したことに関する唯一の例外は、彼が徐々に、より軽い程度にはなったものの、パニック発作に悩まされ続けたことである。しかし、これは、遷延性離脱、依存症経験によるトラウマ、及びその後の賠償訴訟の更なるプレッシャーなどを含む長期的影響を考慮に入れて分析される必要がある。
3.2.10
しかし我々は、ウェインはベンゾジアゼピン服用以前にはパニック発作の病歴がなかったことを承知している。
3.2.11
不安症状と、依存症状を見分ける困難さは、しばしばこれらの薬剤が過剰処方される結果を招くため、ベンゾジアゼピンの大きな問題の一つである。依存症形成が見落とされることが多く、医者は患者の不安症状が悪化したと考えてしまう。患者の処方が増量されることもあり、その後一時的に症状が緩和するが、多くの場合、これは依存症問題を大きくさせることにつながる。
3.2.12
上記に加えて、全体的臨床像の中(第一報告書、項目2.2)で、及びウェインがDSM-IV-TRの5つの基準を同じ12カ月の期間内に充足していた事実に照らし合わせて考慮すると、2000~2001年のウェインの(慢性)不安症及び(慢性)抑うつ症状の殆どは、ベンゾジアゼピン依存症により起こった、または悪化したものであった蓋然性は、極めて高いということが明らかである。
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3.3 精神保健・中毒治療科-症状歴
(8頁:抑うつ)
3.3.1
当科に来院の際の、ウェインのタイプされた記録の2頁(精神保健・中毒治療科の患者カルテ情報8頁)にリストがあり、X医師の患者カルテ情報12頁の“NB”という見出しにある内容と合致する。
3.3.2
このリストを見ると、X医師に渡されたバージョンには最初含まれていなかった追加のコメントがこのリストに含まれていることがわかる。この追加のコメントは:“目まい発作以来、憂鬱で閉鎖的な気分になってきた”というものである。
3.3.3
ウェインは最初の目まい発作及びそれに続く平衡障害の後、彼はいつもなら行うであろう外出や人との付き合いができなくなったと報告している。
3.3.4
続いて、第三報告書、項目2.4で述べた“生活への打撃”は、ベンゾジアゼピン依存症ではなく、最初の目まい発作及びその後の平衡障害により起こったという議論も可能であろう。
3.3.5
しかし、やはり、これは文脈の中で検討されねばならない。例えば、我々は、ベンゾジアゼピン治療開始の前、また治療の初期段階においてウェインが、職責の軽い仕事とはいえ、日本でなお勤務し続けることができる状態であったことを承知している。しかし、4~6カ月以上のベンゾジアゼピン治療に伴い、彼の状態は悪化し続け、最終的には1年以上の間、全く就労することができない状態になってしまった。
3.3.6
これは、ウェインが最初の目まいとそれに続く平衡障害の訴えの後は、まだ働く事ができていたが、薬物治療の後は、働く事ができなくなったことから、ベンゾジアゼピン依存症のほうが(新訳注:比較的に)最も大きな打撃であったことを示している。
(17頁:カウンセリング)
3.3.7
患者カルテ情報17頁、2001年4月30日の記録に、ウェインは専門家によるD/A(薬物及びアルコール)カウンセリングではなく、一般的なカウンセリングを希望した、とある。
3.3.8
ウェインは書面によるコミュニケーションにて、彼が一般的なカウンセリングを希望した理由は、依存症と離脱を含むベンゾジアゼピンの性質について簡単な説明を受けた後、薬剤を中止するためには何が必要であるかがわかった気がし、その後、彼はこれに関する更なるカウンセリングは必要ないと感じたからだ、と報告した。むしろ、彼の当時の状況においてのグリーフ(苦悩)等に関するアドバイスを希望した。
(25頁:ストレス要因)
3.3.9
2001年6月5日付の当職作成に係るウィットウェル医師宛ての書簡にて、当職は、ウェインが述べたストレス要因のいくつかに対処するために、彼はリラクゼーションテクニックの代替案を考慮するよう勧められたと言及した。これらのストレス要因とは、1999年末/2000年初旬に静岡での仕事による以前のストレス、診断がつかなかった目まい発作がもたらした継続的な平衡障害に一時期には悩まされた事実、及び仕事能力を含む彼の人生に対する打撃を与えるに至ったベンゾジアゼピン依存症に悩まされた事実のことである。
(22頁:視覚障害)
3.3.10
いかにウェインの最初の訴えの症状のいくつか(筋肉の硬化及び過敏性)がベンゾジアゼピン服用により悪化したかについての例が述べられた第三報告書、項目3.3.16~21に加え、視覚障害の悪化もこの別の例である。
3.3.11
X医師の患者カルテ情報の11頁に、ウェインに最初の目まい発作に伴って光に対する過敏症及び眼のちらつきが発現したことが記されている。
3.3.12
しかし、精神保健・中毒治療科の患者カルテ情報の21頁の記録に、ウェインはベンゾジアゼピン服用開始後4~6ヶ月の時点で、光に対する過敏症の増加、色つきの閃光、過度の残像、閃光、視覚がコマ送りに見えること等を訴えたとある。この視覚障害の悪化もまた離脱を支持するものである。
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私の母国語は日本語ではありませんので何卒ご理解いただきたくお
「もし何かの薬を飲み続け、それが長い長い災難をもたらし、あなたからアイデンティティをまさに奪い去ろうとしているのなら、その薬はベンゾジアゼピンに違いない。」
ジョン・マースデン医師
ロンドン大学精神医学研究所
2007年11月1日
「我々の社会において、ベンゾは他の何よりも、苦痛を増し、より不幸にし、より多くの損害をもたらす。」
フィリップ・ウーラス下院議員
英国下院副議長
オールダムクロニクルOldham Chronicle (2004年2月12日)
「ベンゾジアゼピン系薬剤はおそらく、これまでで最も中毒性の高い薬物であろう。これらの薬を大量に処方してきた途方もなく大勢の熱狂的な医師達が、世界最大の薬物中毒問題を引き起こしてきたのだ。」
薬という神話 (1992)
「薬があれば、製薬会社はそれを使える病気を見つける。」
ジェレミー・ローランス (ジャーナリスト)
インディペンデント紙 (2002年4月17日)
「製薬会社に対して、彼らの製造する薬について公正な評価を期待することは、ビール会社にアルコール依存に関する教えを期待するのと同じようなものである。」
マーシャ・エンジェル医師
医学専門誌"New England Journal of Medicine"元編集長
「ベンゾジアゼピンから離脱させることは、ヘロインから離脱させるよりも困難である。」
マルコム・レイダー教授
ロンドン大学精神医学研究所
BBC Radio 4, Face The Facts
1999年3月16日
「長期服用者のうち15%の人たちに、離脱症状が数ヶ月あるいは数年持続することがある。中には、慢性使用の結果、長期に及ぶ障害が引き起こされる場合もあり、これは永続的な障害である可能性がある。」
ヘザー・アシュトン教授
医学博士、名誉教授
Good Housekeeping (2003年)
「クロノピン(クロナゼパム)とは恐ろしい、危険なドラッグだ。」
この気の毒な問題に取り組む全ての関係者は、トランキライザー被害者の為に正義を提供するよう努めるべきである。
「'benzo.org.uk'というサイトは実に素晴らしい。」
マーシン・スライズ
ロシュ社ポーランド 製品マネージャー