第二章
2. DSM-IV-TR と患者カルテ情報
2.1 耐性(基準1)
上記の項目1.3に述べられている証拠に基づき、処方量と期間はウェインにとって耐性を形成するに十分なものであったということがわかる。当職の第一報告書の13頁にある参照に加えて、アシュトン教授による下記の情報提供がある:
“もしベンゾジアゼピンが定期的に2~4週間以上にわたり服用されるならば、耐性と依存が生じる可能性がある。最小投与量はなく、例えば耐性と依存は2.5mg~5mgのジアゼパムの定期的な服用後に見られたこともある。”
原注1:耐性が形成する速度と度合いは各個人で異なることをも考慮せねばならず、そのために注意深い監視が非常に重要である。
原注2:長期間作用薬、また短期間作用薬どちらによっても耐性が形成する可能性がある。
2001年4月に当科で行った漸減療法にてウェインに離脱症状が生じた事実は彼が耐性を発現していたことを裏付けるものである。
原注:2008年12月23日付の当職作成に係る第二報告書にて述べたように、もし患者が耐性を発現していなければ神経学的な順応はなく、離脱も起こることはないため、離脱と耐性は相互に関連し合っている。
続いて、唯一考慮されるべき問題はいつ彼が最初に耐性を発現したか、また何が兆候であったかということである。
耐性は下記の兆候により明らかなものとなる。
- 元々の症状のぶり返し及び/または悪化
- 長期において疾患の薬物による抑制の失敗
- 治療中の離脱症状の発現(項目2.2参照)
- 漸減療法における離脱症状の発現(項目2.2参照)
(1)最初の症状のぶり返し及び/または悪化
2.1.1
X医師の患者カルテ情報の内容により、2000年6月30日の初診時にてウェインは首と背中の痛みを訴えていたことがわかる(11頁のウェインの手書きの記録参照)。
2.1.2
2000年7月19日付のX医師の患者カルテ情報の内容に下記の記述がみられる。“肩こり、首のこり-なし”(8頁参照)。
原注:これは、治療開始後約2週間位で症状が当初では落ち着いたという当科での彼の報告と合致するものである。当初では落ち着き、その後悪化したとウェインが報告したその他の症状には不安感と目まいが含まれる。
2.1.3
X医師の患者カルテ情報の内容は、2000年8月21日付のウェインの手書きの記録を含んでいないが、それは証拠(甲A12-1号証)に加えられていると理解しており、内容は下記である。
No. | 記録内容 | 状況 | 下記と合致 |
2000年6月30日 (症状) |
|||
1 | ふらつきの持続(特に、皿を洗っている際やシャワーを浴びている際には気分が悪い) | 継続 | |
2 | だるさと疲労(従前と同様) | 継続 | |
3a | 息苦しさ(少しの改善) | 改善 | 治療効果 |
3b | 動悸 | 新しい | 耐性/離脱 |
4 | 目が泳いでいるような感じ(今は朝のみ) | 改善 | 治療効果 |
5 | 足の弱い感じ(一度良くなったが、今は力が入りそうにない) | 改善、その後悪化 |
耐性 |
6 | ふらふらする感じ | 継続 | |
(その他) | |||
7 | 夏ばて | ||
8 | ストレスと疲労 | 継続 | |
9 | 肩こり | 改善、その後悪化 | 耐性 |
10 | 痔が悪化した | ||
11 | 口内潰瘍 | 新しい | 副作用 |
12 | 食欲不振 | 改善なし | 耐性 |
2.1.4
この手書きの記録の症状は、症状が当初では落ち着ついた後に、改善も悪化もない短い時期を感じたが、ベンゾジアゼピン治療開始後約1カ月半の時点で、(1)症状の継続、(2)症状の悪化、そして(3)いくつかの新しい症状も発現したことに気付いた、という彼の当科での報告と合致する。
2.1.5
症状の継続は上記のリストの1,2,6,8番で明らかである。
2.1.6
例外として、現段階では、3a、4の改善がいくらか見られる。原注:耐性は必ずしも全ての症状において生じるものではない。
2.1.7
症状の悪化は上記のリストの5、9番で明らかである。
原注:X医師の患者カルテ情報によると、ウェインの最初の訴えである首と背中の痛みは治療約2週間後に消失したが(8頁参照)、上記のリストにはこれらがぶり返したことが述べられている。「足の弱い感じは一度良くなったが、その後悪化した」というウェインのその他のコメントもこれに似たパターンである。つまり、最初は改善したがその後は悪化したということである。
2.1.8
(着目すべき)新たな症状の発現は“動悸”の記載にて明らかである。これについてはウェインの手書きの記録、また以前のいずれの患者カルテ情報においても言及されていない。原注:これは離脱のタイプの症状と合致すると確認できる。
(2)長期において疾患の薬物による抑制の失敗
2.1.9
症状が当初では落ち着ついたものの、その後は特定の症状のぶり返しと新たな症状の発現が見られたという事実(項目2.1.3と2.2.3参照)は、彼がベンゾジアゼピン治療開始後約1カ月半の時点で、初期の耐性を発現したということ、またこれはこの薬剤は長期においてウェインの症状を抑制するという望ましい結果に到達していなかったということを示している。
2.1.10
X医師は同医師の治療において、ウェインが薬物治療により完全回復したと主張しているとの報告を当職は受けている。しかし、Oセンターの患者カルテ情報の2頁にある患者問診票によると、ウェインは、2001年4月に当科に来た時と同じように彼の最初の訴えである目まいを含むあらゆる症状(甲A6号証)に苦しんでいたことがわかる。
2.1.11
上記を考慮し、またウェインに漸減療法により離脱症状が生じた事実により(当職自身の観察により)、彼の体は神経学的な順応を生じたと結論づけることができ、そのため彼が耐性を生じていたとも結論づけることができる。
結論:ウェインはDSM-IV-TRの“耐性”の基準を充足する。
ページトップに戻る
2.2 離脱(基準2)
離脱は下記により明らかなものとなる。
- 治療中の最初の症状(頻度、強度、性質)の悪化
- 治療中の新たな症状の発現
- 漸減療法における症状(頻度、強度、性質)の悪化
- 漸減療法における新たな症状の発現
(1)治療中の最初の症状の悪化
(筋肉の硬化)
2.2.1
治療中の元々の症状の悪化は筋肉の硬化の訴えにて明らかであった。ウェインの手書きの記録(A12-1号証)により彼はこの症状が最初に落ち着いた後に筋肉の硬化(項目2.1.3参照)を経験したことがわかる(X医師の患者カルテ情報8頁参照)。ウェインはこれを軽減する目的で2000年11月より埼玉にある近所の理学療法診療所にてマッサージ治療を受け始めたとの報告を受けている。
2.2.2
ウェインの手書きの記録(甲A26号証)によると、この筋肉の硬化は彼の顎の顕著な圧迫を伴い、そのため、ベンゾジアゼピンの処方開始後約4~6カ月の時点で、彼は口を正常に閉じることができないようになった。
またこのリストには“関節の痛み”が含まれていた。これはニュージーランドに帰国後、ウェインがこのタラナキ病院の歯科にて顎関節症、つまりTMDと診断された事実により裏付けられる。
原注:2008年12月19日付のA氏と当職の間での質疑応答の書類において、当職は筋肉の硬化を含むウェインのいくつかの症状についての更なる意見を述べることはできないと伝えた。これはその時点でより客観的な決断をするには更なる情報が必要であったためである。しかし、現時点では直接患者カルテ情報を検証する機会があり、それを考慮して、筋肉の硬化は離脱と合致しているということを確認できる。
(2)治療中の新たな症状の発現
2.2.3
下記の通り、X医師の患者カルテの内容(29頁参照)は、ウェインの手書き記録の最初の4つの症状(甲A26号証)を表している。
No. | 記録内容 | 状況 | 下記と合致 |
2000年12月18日 新たな症状 |
|||
1 | 11月より軽い耳鳴り(就寝時や起きがけに)を出現 | 以前にもあったが再び新たに発現した | 離脱 |
2 | 10月より,目の水晶体の染みのように見えるもの(白内障?)が発現(右目で、目を閉じても見える。) | 新しい | 飛蚊症 |
3 | 熱に対して敏感になった(体温が常に変化しているように感じる。) | 新しい | 副作用/離脱 |
4 | 普段より脈拍数が上昇 | 新しい | 副作用 |
5 | ほてり | 新しい | 離脱 |
6 | 性欲低下 | 新しい | 副作用 |
7 | 目を開けない癖の出現 | 新しい | |
8 | 朦朧とするようになった | 新しい | 離脱 |
9 | 胸部への圧迫感 | 新しい | 離脱 |
10 | 時どきの胃痛 | 新しい | 副作用 |
11 | 食欲減退 | 改善なし | 副作用/離脱 |
以前に書き忘れた症状 | |||
12 | 顎の痛み | 新しい | 離脱 |
13 | 子供の頃よく口に擦り傷ができた | ||
14 | 子供の頃よく乗り物に酔った | ||
15 | 関節の痛み | 新しい | 離脱 |
16 | 15から21歳の間にマリファナを吸っており、一時期は妄想症を経験した | (第一報告書の項目1.2.3参照) | |
17 | 10kg、体重が減少 | 改善なし | 離脱 |
18 | 頭の内側が引き攣り、脈動する | 改善なし | 離脱? |
19 | 一度タイガーバームにアレルギー反応をおこし発疹ができた |
原注:上記の手書きの記録は、2000年12月25日のウェインの最終診察時に未完成のリストとして最初にX医師に手渡されたと当職は理解している。ウェインはこれらの症状を口頭で訴えたが、より詳細に彼の状態を伝えるために、X医師またはスタッフの看護師に見せる目的で、待合室にて待っている間にリストに追加部分を加えることを決めたとの報告を受けている。ウェインによると、完成したリストを目的通りにX医師に見せる機会はなく、その代り2001年1月22日にM医師に見せた。
2.2.4
上記のリストにある着目すべき症状は次記を含む。耳鳴り、熱に対する敏感性(過敏性)、脈拍(頻脈)、ほてり、性欲低下、朦朧とする感じ(感情的感覚脱失)、胸部への圧迫感、時々の胃痛、顎の痛み、関節の痛み。過去の全てのカルテ情報の内容から、ベンゾジアゼピン療法を開始する以前にはウェインにはこれらの症状は生じていなかったことが確認できる。これらの症状は離脱タイプの症状、及び/或いは副作用と合致する。
2.2.5
ウェインにベンゾジアゼピン療法を開始する以前から発現していた上記(2.2.4)にある唯一の症状は耳鳴りである。STRC病院耳鼻科の患者カルテ情報の内容から、ウェインは2000年5月(12頁)の最初の目まい発作に伴って耳鳴りを訴えたことがわかる。しかし、これは2000年6月30日のX医師による初診の前に自然に消失した。それはその後再びウェインのX医師への最初の手書きの記録でも、またX医師の患者カルテでも言及されることがなかった事実により立証される。
2.2.6
ベンゾジアゼピンを開始後4~6カ月の時点で、二度目の耳鳴りが発現した事実は、この場合も離脱タイプの症状と合致する。症状回避(最初の訴えの症状が耐性と薬物効果の喪失によりぶり返すこと)の可能性も考えられる。
2.2.7
離脱と合致し、ウェインの治療中の最初に発現した症状が耐性の発現に続いて起こった蓋然性は、極めて高い。しかし、当職の第二報告書で言及したように、ウェインの症状は、ベンゾジアゼピン依存でよく見られるように、他の有害作用または離脱症状の結合したもの("symptom clusters" 「症候乃至症候群」)であろう。これは下記のようにアシュトン教授により支持されている。
“耐性が発現する時、服用者がまだ薬物を摂取し続けていても“離脱”症状が生じうる。このように、多くの長期服用者が苦しんでいる症状は、薬の有害作用と、耐性からくる離脱作用が混ざり合ったものです。” (Benzodiazepinesベンゾジアゼピン:How They Work and How to Withdrawal.その働きと離脱方法 C.H.アシュトン教授 2002年8月改訂― オンラインバージョン2/10頁、第二章参照)。
2.2.8
2008年12月23日付の当職の第二報告書(主にトフィソパムのような短時間作用薬の場合、耐性と振動血漿中濃度により治療中に起こる離脱症状の打開の可能性に焦点をおいたもの)に加えて、長時間作用薬においてさえも、耐性のためだけにより、患者が治療中に“離脱”症状を発現する可能性もあることを明確にしておきたい。これはいったん患者が耐性を発現すると、同じ量のベンゾジアゼピンが、同じ血漿中濃度を生じても同じ効果を発揮しないこともあるからである。
(3)漸減療法における症状の悪化
2.2.9
当職の第一報告書で述べたように、ウェインは下記の症状により証明された離脱の基準を充足した。これらのうちのいくつかは耐性により彼の治療中(項目2.2.3参照)に初めて発現したもので、その他は彼の総量からの漸減療法時に初めて発現したものである。
No. | 記録内容 | 状況 | 下記と合致 |
1 | 顔面のピリピリ感 | 漸減療法において初めて | 離脱 |
2 | 筋肉運動協調の喪失 | 漸減療法において初めて | 離脱 |
3 | ミオクローヌス反射 | 漸減療法において初めて | 離脱 |
4 | 油っぽい体臭(過敏性の増加) | 漸減療法において初めて | 離脱 |
5 | 関節痛の増大 | 治療中では初めて、漸減療法にて悪化 | 離脱 |
6 | 筋肉の硬化 | 最初は改善、その後治療中に悪化、そして再び漸減療法にて悪化 | 離脱 |
7 | 目まいの悪化 | 最初は改善、その後治療中に悪化、そして再び漸減療法にて悪化 | 離脱 |
8 | 側頭動脈の拍動の悪化 | 最初は改善、その後治療中に悪化、そして再び漸減療法にて悪化 | 離脱 |
9 | 視覚障害の悪化 | 最初は改善、その後治療中に悪化、そして再び漸減療法にて悪化 | 離脱 |
10 | 情緒不安定の増大 | 最初は改善、その後治療中に悪化、そして再び漸減療法にて悪化 | 離脱 |
11 | 動悸の増大 | 治療中では初めて、漸減療法にて悪化 | 離脱 |
12 | 胸部の圧迫感 | 治療中では初めて、漸減療法にて悪化 | 離脱 |
13 | ほてり | 治療中では初めて、漸減療法にて悪化 | 離脱 |
14 | 過敏性 | 最初は改善、その後治療中に悪化、そして再び漸減療法にて悪化 | 離脱 |
2.2.10
漸減療法における症状(頻度、強度、性質)の悪化は上記のリストの5~14番にて明らかであり、下記に説明される。
(5.関節痛の増大、6.筋肉の硬化)
2.2.11
上記の項目2.2.1~3/当職の第一報告書の17頁目に加えて、掛かり付け医は、漸減療法において彼に生じていた更なる筋肉の硬直を少しでも和らげるためにジョン・ユアン医師による針治療を受けるよう勧めた(甲C10-3号証)。
(7. 目まいの悪化、8.脈動の悪化)
2.2.12
当職の第一報告書の17頁目に加えて、漸減療法において悪化した最初の症状は目まいの悪化とこめかみ付近の脈動が含まれる。原注:これは2001年3月1日のウェインの二度目の(計画された)漸減療法の試みの経過中におけるM医師による観察と合致する(Oセンターの患者カルテの10頁目参照)。
(9. 視覚障害の悪化)
2.2.13
当職の第一報告書の19頁目に加えて、ウェインは視覚障害の悪化を心配しており、続いて、当職のアドバイスに従って彼はテイラー・ケビン眼科医による追跡診察を予約し、テイラー医師は、視覚がコマ送りに見えることは脳への視覚信号を遅くしているベンゾジアゼピンによるものかもしれないと指摘した。
(10. 情緒不安定の増大)
2.2.14
当職の第一報告書の17頁目に加えて、漸減療法において彼に生じていた情緒不安定増大に関する定期的受診のため、当職はウェインに臨床心理士のアラン・ガイ医師を紹介した。(甲A18号証)
(訳注:原文通りであれば,「情緒安定」であるが,意味が通らなくなるので,「情緒不安定」と訳してある。原文のケアレスミスと思われる。)
(11. 動悸の増加、12.胸部の圧迫感、13.ほてり)
2.2.15
当職の第一報告書の13頁目に加えて、ウェインは治療中において最初に発現したこれらの症状(項目2.1.3と2.2.3参照)が漸減療法において再度悪化したと訴えた。
(14.過敏性)
2.2.16
当職の第一報告書の13頁目に加えて、ウェインは、漸減療法経過において、光や物音への過敏症が増大したと訴えた。ウェインは、視覚効果を伴うテレビ番組はたいてい耐えがたいもので、彼のまわりにいる人々に比べて音も大きすぎると感じたと報告している。
(4)漸減療法における新しい症状の発現
2.2.17
漸減療法における新たな症状の発現は上記のリストの1~4番で明らかであり、下記に説明される。
(1.顔のピリピリ感)
2.2.18
当職の第一報告書の17頁目で述べたように、ウェインは漸減療法において顔のピリピリ感を覚えた。(感覚異常)
(2.筋肉運動の協調の喪失)
2.2.19
当職の第一報告書の17頁目で述べたように、ウェインは、腕や手の動きを含む神経筋機能障害に関連する筋肉運動の協調を喪失した。
(3.ミオクローヌス反射)
2.2.20
当職の第一報告書の17頁目で述べたように、ウェインは、離脱症状で何人かに見られるミオクローヌス反射を生じた。(Benzodiazepine Withdrawalベンゾジアゼピン離脱症状:An Unfinished Story.終わらない物語 C.H.アシュトン教授 1984、オンラインバージョン9/13頁参照)。
(4.油っぽい体臭)
2.2.21
当職の第一報告書の17頁目で述べたように、ウェインは、油っぽい彼の体臭を発している感覚を覚えた。これは、離脱において患者が、聴覚、視覚、触覚、味覚と臭覚全てにおける感覚が増す過敏性の増大に関係している可能性がある。(Benzodiazepinesベンゾジアゼピン:How They Work and How to Withdrawal.その働きと離脱方法 C.H.アシュトン教授 2002年8月改訂―オンラインバージョン7/22頁、第三章参照)。
2.2.22
上記に述べられたように、ウェインは、治療中(耐性のため)と当科における漸減療法の両方において、元々の症状の悪化と新たな症状の発現を生じ、それらは離脱症状と合致する。
結論:ウェインはDSM-IV-TRの“離脱”の基準を充足する。
ページトップに戻る
2.3 制御不能(基準4)
2.3.1
Oセンターの患者カルテ情報の内容によると、2001年2月7日より実行する漸減療法計画が立てられたことがわかる(10頁参照)。この漸減療法計画によると、ウェインは3月1日から摂取量を一日当たり3回から2回に減らすことを試み、その直後の3月2日に追跡診察が行われており、おそらくそれは経過の確認の目的であったと思われる。
2.3.2
この漸減療法の試みの結果に関する3月2日付の記録があり、下記のとおりである。
“(自覚症状)側頭部の脈動(右?解読不能)
(他覚所見)薬を2回に減らすべきか迷っている(目まいが増大しているため)”
2.3.3
その他に3月19日付の患者カルテ情報に、“薬を一日に3回服用”とある。
2.3.4
これは、M医師の漸減療法計画において、ウェインの第二回目の漸減(一日3回から2回へ)の試みは、毎日3回服用を再開したことより、失敗であったという明らかな証拠である。
2.3.5
他に、“帰国してから(薬を)やめようと思っている”との3月19日付の記録がある。
2.3.6
これは、ウェインが2001年の3月末にニュージーランドに帰国後に3度目に薬剤を断つよう試みたが失敗に終わり、その後ウィットウェル医師、そして当科に助けを求めたという彼の陳述書を立証するものである。
結論:ウェインはDSM-IV-TRの“制御不能”の基準を充足する。
ページトップに戻る
2.4 生活に対する打撃(基準6)
2.4.1
STRC病院の神経内科の患者カルテ情報によると、“患者は問題なく日常の仕事を続けることができる”(17頁参照)とある。
原注:これはベンゾジアゼピン治療開始の前、また治療の初期段階において、職責の軽い仕事とはいえ、日本でなお勤務し続けることができる状態であったというウェインの報告を立証するものである。
2.4.2
ウィットウィル医師作成に係る書簡によると、ウェインは6カ月以上のベンゾジアゼピン服用の後、1年以上の間、全く働くことができない状態になってしまったとある(甲A7号証)。
原注:ウェインは薬剤の服用を断ち、依存症の初期離脱段階から回復した後に、はじめて仕事に復帰できる体調に戻り、復職許可を得た。
2.4.3
ウェインの友人であるエドワード・テウアとジョセフ・テート(依存症問題の前、依存症の間、そしてその後もウェインのことをよく知っていた二人)により提出された二つの陳述書によると、ウェインは交際をする能力の喪失に悩んでいたという。これらの証言には、2000年9月にシャトルバスの中でウェインが立ち上がり乗客に暴言を吐いたこと、また11月末にコーヒーショップにて客に対して攻撃的になったという着目すべき攻撃的傾向が含まれ、これが彼の性格からは考えられないことだとのことであった(甲A14&15号証)。
2.4.4
ウェインの母親より提出された陳述書によると、彼は人間関係の不全を覚えていた。それらにはウェインの適切なコミュニケーションの不能(普段予測される方法での)、集中力の欠如、極端なむら気や気分動揺、抑うつなどが指摘されている。ウェインは、この不安定さが原因で彼の母親が20年ぶりに喫煙を再開したと報告し、これも彼の状態が当時の二人の関係に与えていたプレッシャーを示す指標となるものであろう(甲C4号証)。
2.4.5
ウェインの最初の陳述書(甲A22号証)によると、彼は恋人との人間関係の不全(12頁と15頁参照)を覚えていた。この証言の中でウェインの性欲低下、彼の当時の彼女(K)に対して傷つける言葉を発する傾向やその後の口論が示された。
原注:ウェインの手書きの記録(甲A26号証)にも性欲低下について述べられている。
2.4.6
ウェインの二度目の陳述書(甲A30号証)によると、彼は娯楽活動に参加する能力の顕著な喪失を覚えていた。ここに、近所のスポーツジムが、彼がまだ酔っ払いのように歩くことや時々彼自身が自分を支えるのに何かにつかまらねばならなかった理由などから、ウェインを会員として許可したがらなかった(項目22と25参照)ことが記されている。
原注:ウェインが歩行困難、上記に述べられた社会生活の問題、及び身体的また心理的な症状に悩まされていたことから、彼は日々の活動を行う能力の喪失を覚えていたと結論づけるのが妥当だと考えられる。
2.4.7
上記に述べられたように、ウェインは労働能力の機能障害、交際をする能力の喪失、人間関係の不全、恋人との人間関係の不全、娯楽活動に参加する能力の喪失を覚えており、彼の生活に深刻な打撃を与えたことを示している。
結論:ウェインはDSM-IV-TRの“生活に対する打撃”の基準を充足する。
ページトップに戻る
2.5 有害であることを知っているにも関わらず、使用を継続したこと(基準7)
2.5.1
X医師の患者カルテ情報の内容から見ると、ウェインは自身の置かれている状況に対して常に自覚をもっているタイプの性格であることがわかる。これは初診時、また治療中における彼の手書きの記録により明らかである(11~13、29頁参照)。
2.5.2
STRC病院の患者カルテ情報の内容には、ウェインが他の治療法を求めて別の病院を再び紹介してもらえるよう依頼するために神経内科を再度訪れたとある。これはX医師による薬物治療が彼に害を与えているかもしれないと気付いたということと合致する。
原注:この再紹介の依頼(2000年12月13日)は、ウェインの最初の漸減の試み(11月末)と、彼の手書きの記録(2000年12月18日)と同時期のことであり、全てそれぞれ約3週間以内の時間枠で起こったものである。
2.5.3
Oセンターの患者カルテ情報の内容によると、ウェインは漸減したいとの希望をもっていた。それは“(新訳注:taperしたい)薬を減らしたい”という記載により明らかにされる(10頁参照)。
2.5.4
Oセンターの患者カルテ情報の内容を見ると、ウェインとM医師は漸減療法計画について話し合ったことがわかる。この計画に従ってウェインは服用を一日3回から2回へと減らすよう試みたが失敗した(制御不能の項目2.3を参照)。
原注:これは、ウェインが薬剤は彼にとり有害である可能性があるとの自覚があったがやめることができなかったために一日3回服用し続けた事実を立証するものである。
結論:ウェインはDSM-IV-TRの“有害であることを知っているにもかかわらず使用を継続したこと”の基準を充足する。
ページトップに戻る
このサイトの主要言語は英語です。
その翻訳は私自身を含む複数の人によって手がけられました。
私の母国語は日本語ではありませんので何卒ご理解いただきたくお
「もし何かの薬を飲み続け、それが長い長い災難をもたらし、あなたからアイデンティティをまさに奪い去ろうとしているのなら、その薬はベンゾジアゼピンに違いない。」
ジョン・マースデン医師
ロンドン大学精神医学研究所
2007年11月1日
「我々の社会において、ベンゾは他の何よりも、苦痛を増し、より不幸にし、より多くの損害をもたらす。」
フィリップ・ウーラス下院議員
英国下院副議長
オールダムクロニクルOldham Chronicle (2004年2月12日)
「ベンゾジアゼピン系薬剤はおそらく、これまでで最も中毒性の高い薬物であろう。これらの薬を大量に処方してきた途方もなく大勢の熱狂的な医師達が、世界最大の薬物中毒問題を引き起こしてきたのだ。」
薬という神話 (1992)
「薬があれば、製薬会社はそれを使える病気を見つける。」
ジェレミー・ローランス (ジャーナリスト)
インディペンデント紙 (2002年4月17日)
「製薬会社に対して、彼らの製造する薬について公正な評価を期待することは、ビール会社にアルコール依存に関する教えを期待するのと同じようなものである。」
マーシャ・エンジェル医師
医学専門誌"New England Journal of Medicine"元編集長
「ベンゾジアゼピンを飲むと災難がやって来る。」
アンドルー・バーン医師
オーストラリア, NSW, レッドファーン
ベンゾジアゼピン依存 (1997)
「ベンゾジアゼピンから離脱させることは、ヘロインから離脱させるよりも困難である。」
マルコム・レイダー教授
ロンドン大学精神医学研究所
BBC Radio 4, Face The Facts
1999年3月16日
「長期服用者のうち15%の人たちに、離脱症状が数ヶ月あるいは数年持続することがある。中には、慢性使用の結果、長期に及ぶ障害が引き起こされる場合もあり、これは永続的な障害である可能性がある。」
ヘザー・アシュトン教授
医学博士、名誉教授
Good Housekeeping (2003年)
「クロノピン(クロナゼパム)とは恐ろしい、危険なドラッグだ。」
この気の毒な問題に取り組む全ての関係者は、トランキライザー被害者の為に正義を提供するよう努めるべきである。
「'benzo.org.uk'というサイトは実に素晴らしい。」
マーシン・スライズ
ロシュ社ポーランド 製品マネージャー
Both the High Court and Supreme Court Verdicts dismissed my case completely (100%), despite the comprehensive medical reports, expert opinions, and credible evidence...
Who's protecting society (the tax payers) whose money they receive as salary to protect the public?
The informed consent argument formed an integral part of the case because it was needed to prove negligence.
Without negligence there would have been no accountability, and therefore, no case from the outset.
In section 4 of his fourth report, Addictive Medicine Specialist, Dr. Graeme Judson explained the principles of prescribing and informed consent in relation to my case and sample applied.
The monitoring argument also formed an integral part of the case because it too was needed to prove negligence.
As above, without negligence there would have been no accountability, and therefore, no case from the outset.
As with informed consent, in section 4 of his fourth report, Addictive Medicine Specialist, Dr. Graeme Judson explained the principles of prescribing and monitoring in relation to my case and sample applied.
このセクションでは、私が闘った日本の裁判についてお話します。特にそこで現れた、明らかに不当な処置と思われる事例のかずかずを紹介します。これらの事例をわかりやすくお伝えするために、「東京高等裁判所の判決」と「中毒治療科の報告書」への参照箇所(リンク)がいくつか出てくるので是非ご参考ください。また、「中毒治療科報告書」は、一貫して、法的証拠およびDSM-IV-TRの依存症診断基準に基づいて書かれていることにもご留意ください。
Seems people are all saying the same things over and over…
- I was like a zombie
- It felt like I was in hell
- It was much harder to come off benzodiazepines than anything else I'd ever had before
- It took a chunk of my life away
- It has destroyed my life
- The doctor never told me they were addictive / The doctor told me they weren’t addictive
- When I complained my condition was worsening the doctor prescribed me more...
臨床用量のベンゾでは中毒にならないと思っていませんか?
考え直しましょう!
“もしベンゾジアゼピンが定期的に2~4週間以上にわたり服用されるならば、耐性と依存が生じる可能性がある。最小投与量はなく、例えば耐性と依存は2.5mg~5mgのジアゼピンの定期的な服用後に見られたこともある。”
ヘザー・アシュトン教授(英国、ニューカッスル・アポン・タイン大学名誉教授、臨床精神薬理学)。
私はもともと、ベンゾジアゼピン処方による被害にあい、その上に東日本大震災にもあいました。震災にあった時に心配になったことは、トラウマに悩まされている被災地の多くの人たちが、ベンゾジアゼピンの処方をたくさん受けているのではないかということでした(今も心配しています)。
大震災の最中に、私はちょうど最高裁への上告理由書を書いていたところでした。せっかくでしたので、その機会を借りて、警鐘を鳴らそうと思い、下記の文を補記しました…
- 当方の重要証人である医長(診断医)は、裁判での証人尋問を2回拒まれています。1回目は東京地方裁判所で、2回目は東京高等裁判所においてです。
- 第1審決裁後の反証提出期限を過ぎてから、地方裁判所の裁判官は、被告側の有利になる問題を提出し、当方には反証提出の機会すら与えられなかった。
- 東京高等裁判所の裁判官は、中毒を引き起こすとみなされるベンゾジアゼピンの用量を決める際には、製薬会社が作成した添付文書に信用を置いて、提出された十二分なまでの証拠(疑う余地のない文献や専門家の意見など)を、あろうことか、無視した。
- 裁判では、被告医師が下した診断と、出された処方は整合性が取れないのだが、その矛盾は追及されることはなかった。
- 判決理由の記載の中身をみると、高等裁判所は、本件に適応されたDSM-IV-TR診断基準のうち、半分以上について検討していないことは明らかである。
- 訴訟中に裁判長の交代があった結果、本件について詳しい裁判長の代わりに、本訴訟の経過やベンゾジアゼピンについての基礎知識を全く持っていない新しい裁判長が途中で本訴訟を引き継ぐことになってしまった。